長崎大学 寺島実郎リレー講座 第6回第1部 日本創生への視座

長崎大学主催の寺島実郎責任監修リレー講座 第6回(最終回)は、第1部が寺島氏の閉めの講演、第2部がフォーラムでした。
まず第1部の内容です。<セミナーデータ>
タイトル:寺島実郎責任監修リレー講座「世界の構造転換と日本の進路」
第6回第1部「日本創生への視座」
講師:寺島実郎氏(日本総合研究所理事長 三井物産戦略研究所会長 多摩大学学長)
日時:2010年12月16日 (木) 14:30~15:20
場所:長崎大学
主催:長崎大学 共催:長崎新聞社

寺島実郎氏の話今まで話をしてくれた先生たちのキーワードを整理すると、まず最初のキーワードは「アジアダイナミズム」。今、日本が向き合っている大きなダイナミズム、アジアの熱気を真剣に受けとめて、どういうふうに進むかという問題提起だった。もうひとつの創生への視座にもつながるキーワードが「次世代ICT(情報通信技術)」。ITがあっという間に我々のまわりを取り囲むようになっている。インターネットが(日本で)1993年に商業ネットワークとリンクしてから17年間でまるで世界が変わった。ICTが我々の進路を形成する技術基盤になると思う。

それから、人間と歴史と地域の結びつきに関して、知の構え方の話があった。

そういった話を踏まえて、この閉塞感のある日本の創生の視座をどういうふうにまとめるかだが、日本の人口構造について話をしたい。

2005年に日本の人口は1億2800万人でピークアウトした。2046年には1億人を割り、2100年には4771万人になると予測されている。
これは、厚労省の中位予測という、悲観的でない、穏健な予測だ。人口予測は、極端な移民政策などよほどの変更要素がないかぎり当たるので、ひとつのメガトレンドとして視界に入れておかないといけない数字だ。

日本の人口が1億人を超えたのは1966年だった。東京オリンピックの2年後で、この年、日本の1人当たりGDPが1000ドルを超えた。このGDP1000ドルは、発展途上国段階を超えたということでよく使われる数字だ。
そして、1981年に日本の1人当たりGDPが1万ドルを超す。15年間でGDPを10倍にしたという、奇跡の70年代を走ったわけだ。

そういったプロセスを経て、人口を1億2800万人までもってきた。それが、90年後には、4771万人になっているだろうと予測されている。
では、日本の人口が4771万人ぐらいだったのはいつかというと、1907年、日露戦争の後。
つまり、100年かけて1億2800万人までもってきたのが、これから90年で、再び4700万人台に落ちていく、元の木阿弥というわけで、今、日本の人口は山頂で、これからつるべ落としで減っていきますよという、そういう状況下にある。

さらに、65歳以上人口比重、つまり高齢者比率だが、現在は20数%なのが、2050年には39.6%、約4割となる。
そして、今年は終戦の年である昭和20年生まれが65歳だが、来年からいよいよ戦後生まれ、団塊の世代が高齢化の時代に入る。私もそうだが、菅直人も、鳩山由紀夫も、仙石由人も、この戦後の世代、団塊の世代。団塊の世代は、今、日本の権力の中心や、さまざまな中心のところにいる。

戦後、先頭を切って生きてきたはずの団塊の世代が、「たわいもない中年」から「たわいもない高齢者」へ差しかかっているとしか言いようがないほど、いったい何を学び、何を実現していかなければと思っているのか、世界観と歴史観の欠落、混迷、練磨されていない知性、そういうものが日本を混迷させているのではないかと、最近つくづく思うことがある。怒りさえ感じている。

それに関しては、宣伝するわけではないが、10月に出版した「問いかけとしての戦後日本と日米同盟」(岩波書店)という本を見てもらえればと思う。

いま全国で、人口が増えているという地域はほとんどない。首都圏に人口が集中しているだけで、地方はどんどん人口が減っている。
人口が増えている例外的な県はいくつかある。たとえば、沖縄。団塊の世代が定年退職で現場から去り始めて、気候のいいところでのんびり暮らすかということで、吸い寄せられていることもある。
また、滋賀県。立命館の滋賀キャンパスが活力を与えている。

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これから人口が減るというメガトレンドのなかで、ある地域の人口を増やすというのは、各地方公共団体が懸命に試みるがリアリティがない。そこで、定住人口は減らざるをえないが、移動人口を増やして活力を高めるという視点が重要になってくる。それが長崎でも力を入れている観光立国につながる。
国内の観光ということもあるが、海外からどうやって人を引き付けるのかという話にもつながってくる。

そのひとつとして、今、日中韓の大学の単位互換協定をつくろうという「キャンパスアジア」という構想が進んでいる。
欧州にはエラスムス構想という、欧州、EU圏のどの大学で勉強し単位をとっても、それを単位として認定するという協定があり、これが留学生を相互に増やしている。
それを日中韓で行なう、教育の質を担保しながら、単位の相互認定をするという構想が、「キャンパスアジア」。

東アジア共同体は簡単にできないが、今日のEUのように、段階的接近法で、お互いにとってメリットのある話から実現しようというところから、相互信頼が少しずつ深まっていく。
EUの前提にあるのは相互不信。とくにドイツとフランスの相互不信がEUを実現した。フランスの本音は、ドイツの危険性をそぎ落とし、牙を抜いて、コントロールしようという気持ち。ドイツは、自ら欧州という共通の家に入ることによって、不信感をそぎ落とそうという思惑。

アジアにおいても、日本と韓国、日本と中国の間に相互不信はある。信頼関係も構築しあえていない。せめてお互いにプラスになることから段階的に接近していこうという考え方しかありえない。そのひとつが教育という分野の相互交流の促進。交流を深めて、次の世代へバトンを渡していくというスキームをつくる努力が大事。

日本には今13万人の留学生が来ている。これを30万人にしようというのが「留学生30万人計画」だが、ただ数を増やせばいいというものではない。出口、つまり卒業した後、就職、インターン、教育を深めるチャネル、そういうものをしっかり準備しながら進めていかなかったら、むしろ日本に対して失望と敵愾心を抱く人を増やして帰していくようなものになりかねない。

アメリカがすごいのは、アメリカ留学組の「留美派」が政権の中枢に上り詰めていくこと。アメリカは留学してきた中国人を、卒業後、シリコンバレーの企業などが育てて、その企業が中国に進出するときのトップとして送り返していく。そういうステータスを与えていくから、中国でも影響力のある人間として育っていく。
一方、日本に留学してきた中国人、「留日派」は、日本企業の通訳係程度の処遇しか期待できない。故に、一番優秀な人間は日本には来なくなる。

オバマ大統領は、去年、アメリカから中国への留学生を20万人にすると言って、米中関係は動き始めている。
尖閣問題以降、日本は、日米で連携して台頭する中国の脅威と向き合おうということを描きがちだが、米中関係のほうが根が深くなっている。
去年、米中貿易は日米貿易の2.5倍、アメリカ人で中国を訪れた人は171万人以上、日本を訪れた人は70万人。加えて、米中戦略対話、10人以上の閣僚級の人がテーブルについて、安全保障から経済関係まで、大変に密度の濃い交流を行なっている。

日米財界人会議は空洞化していっているが、米中のビジネスフォーラムの熱気は高い。
日本は米中とどう向き合うかというとき、日本そのものを自立自存の方向感をもった国にしていかなければならない。誰かに頼って何とか生き延びていこうという発想では駄目だ。

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去年、日本を訪れた外国人で一番多かったのは、韓国からの159万人。その前の年は、238万人だったから、ウォン安で減っている。第2位は台湾で102万人。第3位が中国で101万人。アメリカからは70万人。
今年の上半期の数字を見ると、中国からやってきた人は前年同期比47%増。韓国からやってきた人は72%増。韓国から日本にやってくる人はまた増えている。
中国からは尖閣問題でブレーキがかかったといわれているが、7月にVISA規制が緩和されて、今年12月まででだいたい5割増ぐらいと思われる。

観光立国と盛んに言っているが、中国を中核とする中華系の人、中国、香港、シンガポール、台湾から日本を訪れた人、去年263万人、そして、韓国からの159万人が、日本の観光を支えている。

去年の中国の海外渡航者数は、4766万人になった。日本の海外渡航者が1545万人だったから、その3倍以上の中国人が海外に出ていることになる。
4766万人のうち半分は、香港、マカオに出た人なので、2千数百万人が海外に動く時代になっている。それにしても、日本の1545万人を上回っている。

中国の海外渡航者数は、10年以内に1億人を超すといわれており、この1割の1000万人を日本にひきつけようというのが、日本の観光立国の考え。現在の10倍、加えて、その他の中華系の人たちが数百万人、韓国からの人400万~500万人もやってくるということを想定して、この人たちを引き付けなければならない。

先日、台北のジャーナリストに「日本人に覚悟はあるのか」と質問された。
これは、ホテルなどハードの話ではなく、ソフトの話。文化、治安など、1千数百万人の中華系の人をひきつける構想はあるのかという意味。

2泊3日で2万~3万円というツアーでは、観光立国は成り立たない。秋葉原、銀座のショッピング、地方の温泉ではリピーターは引き寄せられない。観光立国には、骨太な装置がいる。イベント主義では駄目。コンスタントに引き付ける力を、装置として持たなければならない。

フランスのパリやスイスのジュネーブには行かざるを得ない装置がある。
たとえば、パリにはOECDの本部がある。IEA(国際エネルギー機関)もある。アラブ世界研究所というシンクタンクもある。情報の質の高さで、中東、アラブ、石油、エネルギーに関心のある専門家はパリに行かざるを得ない。さまざまな企画、シンポジウム、専門家が集積している。行かざるを得ないという力学が生まれる。

ジュネーブには、国連機関の15の本部がある。WTOもILOもある。年間40万人の国連関係者と、100万人を超す学者、研究者、ジャーナリストをジュネーブに引き付けている。

では、どうしても日本に行かざるを得ないような情報の磁場があるのか。

私は今大阪にアジア太平洋研究所というシンクタンクをつくる構想の推進協議会の議長をやっているが、そういう知の装置が要る。
だから、長崎大学がもっている地場活性化の役割は重いし、産学連携がうまくいってないのに活力がある地域は、世界中で例がない。

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そして、観光立国には柱が要る。

たとえば、羽田の国際化が動いている。首都圏の人間は羽田からアジア都市間に動けるようになった。空港の基盤整備とともに「MRJ」とキーワードがある。MRJとは、中型ジェット旅客機の国産化。

6月に発表になった経産省の「産業構想ビジョン2010」に、「一本足打法から八ヶ岳構造の産業構造へ」というキーワードが出てくる。自動車産業に過剰に依存した一本足打法の産業構造を、八ヶ岳のように峰の多い産業の構造にしていかなければというものだ。

今、日本産業が抱えている近々の課題は、自動車産業に過剰に依存して成り立っている産業構造を、どういうふうに新しいプラットフォーム型産業に変えるかということ。そのひとつの例としてMRJにふれている。

海外で、日本は自動車産業の基盤をもちながら、どうしてたった1台の航空機、ジェット旅客機も作れないのかと、質問を受ける。
ボーイングの部品の6割は日本が作っているんですよといっても、完成体の旅客機を作るということとはシナジーが違う。

自動車産業がなぜ需要があったのかというと、素材からエンジン、自動車の販売、ガソリンの販売まで、裾野の広いシナジーが生まれている産業だから、プラットフォーム型産業という。ところが、日本はこの虎の子産業を、部品メーカーも含めて、中国へ移転している。

MRJがなぜ重要かというと、新素材からエンジンに至るまで、ものすごいシナジーを生む産業になるからだ。中型ジェットでピストンのようにアジア都市間をつなぐ。アジア大移動時代が迫っている。

もうひとつのキーワードは「LCC」ローコストキャリア、つまり、きわめて安い航空運賃で、アジアの移動を促す。シンガポールがその典型的な例だが、インドネシアとシンガポール、マレーシアとシンガポールは、往復2000円台という、バスのような運賃で人を引き付けている。
つまり、人を移動させることで活性化を図るというコンセプトが重要になってきている。

加えて、日本創生へのシナリオとしては、「エネルギーと食糧は海外から買うという産業の骨格の変更」や「国土の狭い資源小国という固定観念からの脱却」もある。
戦後の日本は、資源とエネルギーと食糧は外から買うという国を作り上げたが、これからは産業力で培った技術で、食料自給率の向上や海洋資源の開発を進め、地域の活性化を図る、今まで問題だったものを反転させて日本の強みに切り替えていくシナリオがあるだろう。

今、中国が日本のGDPを追い抜いて、日本人が委縮している感があるが、何一つ自虐的になる必要はない。
なぜならば、中国が今挑戦している大きな流れは、量的拡大ではあっても、質的高度化ではないというのが僕の本音。決して我々のクリエイティビティ、想像力を刺激するような挑戦ではない。
日本のほうが新しい文化力や、成熟の中からしか出てこない力のようなものが芽生えているのではないかと思っている。
(以上)

          ◆ ◆ ◆

これまで私は、過去を振り返ることは、自分のことに関しても、日本の現代史に関しても、正直、その余裕はほとんどありませんでした。
大学を卒業してからここ20数年間はひたすら仕事で忙しく、十分に眠る余裕もなかったし、学生の頃もつねに「先のこと」を考え、決断することを迫られていました。

そして、私個人というより、日本の国、日本の現代史自体も、ついこの間まで、過去を振り返るより、ひたすら前に向かって走っていた、そういう時代ではなかったかと思います。

しかし、徐々に日本の経済成長が頭打ちとなり、人口も増えなくなり、主に団塊の世代が懐古モードに入った頃から、日本は良くも悪くも、先のことを考えるより、過去を振り返るモードに入ったのではないかと感じます。
さらに、リーマンショック以降、過去を振り返るモードは、懐古に加えて、反省、そして何らかの手がかりを探るということで、高まっているのではないかと思います。
このリレー講座でも、現代・近代を振り返ることにより、進路を見出すというアプローチが感じられました。

今の日本には、既にこれまでの蓄積があり、成熟しているから、過去を振り返る余裕がある。丘の上でたたずみ、これまで走ってきた道を見ているようなものです。
けれども、中国は、ひたすら丘を駆け登っている途中なので、振り返る余裕がないといえるでしょう。

そして、ひたすら丘を駆け登っている人たちは、登ることに夢中で、その「挑戦」に目を輝かせている。けれども、丘の上の人たちは、既に挑戦から「安定」へと志向が変わり、その安定が失われていく「不安」に怯えてもいる。

しかし、じつは日本にとって挑戦すべき新しい丘、次のステップとなる高度な丘はたくさんあると、私は感じます。「本当はこうなっていたほうがよい。けれども、そうはなってない」という、課題や理想は無数にあるからです。だから、過去に学んだら、それを活かすべく、そろそろ次の丘に挑戦したほうがよいと強く思います。
その際、「10-10-10(テンテンテン)」(スージー・ウェルチ著)ではないですが、短期・中期・長期的によく考えたほうがよい。国なので、個人の「10-10-10(10分後、10カ月後、10年後)」より長いスパン、「1-10-100(1年後、10年後、100年後)」ぐらいで。「国家百年の計」で、種を蒔き育てるところからも考えたほうがよいと思います。

■「長崎大学 寺島実郎リレー講座」のブログ
・第1回「2010年、世界の構造転換と日本の立ち位置」寺島実郎氏(日本総合研究所理事長 三井物産戦略研究所会長 多摩大学学長)
・第2回 第1部「上海万博後の中国経済の行方」沈才彬氏(多摩大学教授)
・第2回 第2部「いまなぜ『アジア太平洋(Asia Pacific)』か」坂本和一氏(立命館アジア太平洋大学初代学長)
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