長崎大学リレー講座2011 第3回 家田仁氏
<セミナーデータ>
タイトル:長崎大学リレー講座2011 東日本大震災後の日本を考える
第3回「巨大災害と社会基盤:その『進化』と課題」
講師:家田仁氏(東京大学大学院 工学系研究科教授)
日時:2011年11月11日(金)18:00~19:30
場所:長崎大学
主催:長崎大学 共催:長崎新聞社
URL:http://www.nagasaki-u.ac.jp/relay-seminar/2011/
■家田仁氏の講演内容
復旧・復興は進んでいるのか?
遅れている部分と進んでいる部分がある。
国道45号線は復旧している。店も復旧している。漁港も着実に直している。
たとえば、ヤマト運輸は、3億円を出して仮設の魚市場を作り提供している。配送も無料で貢献している。300億円の利益のうち、120億円を使っている。
遅れているのは、都市機能の復旧だ。
調査や議論を通じた感想
いろいろなところで、コントラストが見られる。
まず「明」と「暗」のコントラスト。
隣同士の普代村は無傷、田野畑村は全滅。これは、防潮堤の高さによる(普代村15.5メートル、田野畑村8メートル)。
仙台の若林区は、大丈夫だったエリアとそうでないエリアがある。
いろいろな明暗は、努力の結果もあるが、運・不運もある。
次に、「しぶとさ」と「もろさ」のコントラスト。
東北の人は我慢強いと言われる。
漁業は、なんとか海に出て、魚を獲ろうとし、ガソリンスタンドも地下のタンクから手押しポンプでガソリンを出した。
今回の「くしの歯作戦(東北道、国道4号線から、被害の大きい沿岸部に向けた、くしの歯型緊急輸送道路)」も、過去、営々と続けられた努力の成果である。
一方で、コンビニはシステムが直らないと使えず、東京も電車が止まった。
私たちの日常の、便利で快適、安楽な生活は、もろい基盤の上に立っている。水、道路、緑は、空気と同じで、満ち足りているとありがたみを感じない。
仙台の下水道の排出基準は、今まだ守れていない。
社会的技術システムの『進化』
東北新幹線の高架橋の損傷は軽度で、深刻な破壊は起きていない。これは、阪神大震災の反省からの対策が生きている。
高架橋は「防災+減災」という2段構えになっている。
「防災」は災害を防ぐ対策。「減災」はもし防災で防げなかったときでも、被害を減らすための対策。
防潮堤は2段構えの対策になっていなかった。
防災は、しかし、モグラ叩きのように、叩いても叩いても別のモグラが出てくる。今回、高架橋は大丈夫でも、電柱が倒れた。終わりのない発見だ。
昭和三陸津波報告書をどう見るか?
昭和9年に出された、三陸津波による復興計画報告書というのがある。
何が書いてあるかというと、高地移転、防浪堤、避難道路などの対策だ。
つまり、今言っていることは、昭和9年にも言われていたのだ。
これを見て思うことは、まず、自然の力はものすごい、知恵やエンジニアリングには限界がある。やはり高いところに行くしかないということ。
以前は車はなかったので、高地移転は難しかった。しかし、今は車があり、現地では日常的に車を使っている。
そして、これと相反するが、昭和9年から進んでいることもあるので、別の方策もあるはずだということ。
たとえば、カーナビは、コンビニの場所は教えてくれるが、避難所は教えてくれない。これを教えるようにできるだろう。お役に立つテクノロジーは、アジアの災害だらけの地域にも提供できるだろう。
復興に関わっての論点と悩み
論点としては、まず「防災+減災」の2段構えのシステムづくりを進めること。
しかし、会社でも役所でも「ここまでがうちの仕事、後は知らない」という、ボーダーがあるのが普通。このボーダーを超えるのは簡単ではない。
防災対策は、専門家はわかっているので言うが、いくら言っても、起こる前は会社も役所も動かない。「起こらないように何重にも手を打っているから、起こらない」と言い張る。「対策を講じるのは、起こることを前提にしていてけしからん」と言う。
しかし、起こる。起こってから対応する。
「新幹線は絶対脱線しない。脱線しないように手を打っている」と言っていた。このように脱線しないことを前提にしていると、脱線したときのことは考えていない。
けれども、幸い大事には至らなかったが、2004年10月に上越新幹線が脱線した。脱線して初めて、対策を考えるようになった。
建築の耐震は、阪神大震災前から手は打たれていたが、土木は阪神後、手を打つようになった。津波に対しては、今回の反省から手が打たれるだろう。しかし、津波の高さだけに反省がいってはならない。原発の非常用電源の位置など(波が)攻めてくるほうに置くのは、そもそも設計の思想に問題があるのではないか。
防災では、着実にやっておくことはやっておき、別の手を常に打っておくということが必要だ。
復興計画では現地の人も悩んでいる
次の論点は、将来の厳しい現実を復興計画に盛り込めるか、ということ。
復興計画は現地の人がつくっているが、現地の人も悩んでいる。
震災の前から人口が減少しているという現実がある。日本自体が少子高齢化だ。
そういったなか、でっかい計画を立てるべきか、あるいは、他の地域と一緒に相談して、たとえばこういうものは統合しましょうと、現実的にやるか。
でっかい計画はお金がかかるうえ、幻想になるかもしれないが、小さくすると、ますます縮む。
私の考えは、5年間は、優先的に復興すべきことやる。たとえば、道路を直して人も物も動きやすくする。その後、見直すというものだ。
東日本大震災をどうみるか
これまでの災害の歴史をみると、今回の死者・行方不明者2万人という数字は、地震の大きさ、津波の高さ、エリアの広さからみると、これでも、被害は抑えられている。
約20万人が津波から非難しており、無事に避難できた人の比率は、最少値が大槌町の75%で、南相馬市、女川市が80%、陸前高田市が81%、それ以外の多くの地域が87~99%となっている。
次は100%、全員が逃げるようにする。
今回の災害で、「後藤新平がいれば」ということがよく言われる。
たしかに、一理ある。
関東大震災の復興にあたっては、最初、30億円の予算を出していたが、結局5億円になってしまった。これは当時のGDPの3%だ。しかし、後藤は、30億円は無理だろうと思っていた節もある。
阪神大震災はGDPの3%、今回の予算が23兆円ならGDPの5%だ。
戦災の復興は16%だが、今は10%でも国はもたない。市民生活に影響の出ない数字は、3%とか5%なのだ。
ローマ帝国の道路は2000年以上前に作られたが、道路の基本構造は現在も変わっていない。部分的に進化してきたし、進化している。
日本の河川は、大きな川は100年確率(100年に1度の確率)の災害に耐えられるよう整備しているが、整備水準はじつは半分ぐらいしかない。
インフラ整備は地道な努力も要るし、災害の際、逃げることも必要だ。
(以上)
◆ ◆ ◆
「ここまでがうちの仕事」というボーダーがあり、ボーダーを超えるのは簡単ではない。
いくら言っても、起こる前は動かない。「起こらない」と言い張る。しかし、起こる。
というのは、災害もそうですが、他のこともそうだと感じます。
なかには、兆しを感じ、「(問題が)起こるかもしれない」と不安がるけれども、「うちの仕事」なのに手を打たず、「そのことは考えないようにする」という企業人もいます。
この場合、やはり起こる。手は打たれていない。兆しを感じたときに、手を打っておけば、まだどうにかなっていたりします。
起こることを前提に「防災+減災」という2段構えの手を打っておくこと。別の手も常に打っておくこと。
リスクヘッジと未来を見据えた種蒔き。そして、これら地道な努力、プラス、臨機応変な対応は、防災のみならず、経営にも通じるのではないかと思いました。