長崎大学 寺島実郎リレー講座 第2回 第2部 いまなぜアジア太平洋か

長崎大学主催の寺島実郎責任監修リレー講座 第2回 第2部の内容です。<セミナーデータ>
タイトル:寺島実郎責任監修リレー講座「世界の構造転換と日本の進路」
第2回 第2部「いまなぜ『アジア太平洋(Asia Pacific)』か」
講師:坂本和一氏(立命館アジア太平洋大学初代学長)
日時:2010年10月14日 (木) 15:45~17:00
場所:長崎大学
主催:長崎大学 共催:長崎新聞社

坂本和一氏の話私は、90年代後半から、立命館アジア太平洋大学、APUという大学をつくる仕事をしてきた。それを通して見えてきたことをお話ししたい。

APUは、大分県と別府市と立命館の協力で、別府にできた大学で、今年ちょうど10年目になる。私どもは、留学生ではなく国際学生という言葉を使っているが、約3000名、学生全体の47.5%を占める。
「学生の半数は外国から迎えよう」というコンセプトでつくった大学で、留学生の数は、早稲田大学、東京大学、APUが、それぞれ3000名前後と日本で一番多い。

さらに、APUは、現在97カ国・地域から学生が来ているのが特徴。
日本の大学の留学生は、普通、中国、韓国、台湾という3地域からが80%を占めているが、APUの場合は50~55%で、世界から集まっているという点で、日本の大学の中ではユニークな構造をしている。

また、この大学の特色として、授業を日本語と英語の両方のトラックで、単一のカリキュラムを2本立てで行なっていることがあるが、日本の大学では珍しい。

日本の大学は、中国、韓国、台湾という3地域から日本に来ている諸君は比較的日本語がよくできるということで受け入れているが、APUのかなり重要な特色として、APUに来ている中国、韓国、台湾の学生は、9割は来たときに日本語ができない。
日本語ができないのに日本の大学に入れるのかと皆さん言われるが、英語の授業のトラックを走らせていて、来てから日本語のトレーニングを同時に行なう仕組みをとっている。

中国、韓国、台湾の留学生を求めて現地をまわったときに発見したことがある。
それは、最優秀な高等学校の諸君が、海外に目を向けるとき、必ずしも日本語を勉強していない。むしろ、ハーバードやスタンフォードに行くことを目指して英語をトレーニングしており、非常に堪能だということ。
それを知って、私は、英語の教育のベースを持たなければ駄目だと思った。しかし、そのために、1つの科目に2人の先生を揃えるのは大変な苦労があった。

APUには1300名の学生を収容できるドミトリーを設けており、外国からの生徒はここで1年間は過ごすようにしている。
最初は、外国からの学生は住居探しに大変苦労するということでつくったが、ここが非常に重要な国際交流の拠点になっている。日本では稀にみる国際交流空間ではないかと思う。こういう環境が日本の大学に必要性だと改めて思う。

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なぜ、APUを創ったのか。
1989年に、APEC、アジア太平洋経済協力が結成され、これからはアジア太平洋の時代がくると言われた。
そういう時代に備えて、新しい人材をどうやって育てるのか、日本の学生といろいろな国の若者たちとが一緒になって勉強するような場をつくれないのか、ということが立命館のなかで議論となった。

大学の国際化として若者が海外に行く「送り出す国際化」に加えて、キャンパスに「受け入れる・迎える国際化」を考えた。
学生の半数は思い切って外国から受け入れよう、日本の諸君と外国の諸君がフィフティフィフティで生活をし、勉強をする環境をつくったら、国際化された人材ができるだろうと、そんな理想論を考えた。これがAPUのコンセプトの基本。

しかし、立命館大学は学生数が2万5千人ぐらいでできるはずがない、別の大学をつくってはどうかということになった。
立命館は京都にあるのになぜ大分県別府で学校をつくったのか。大分県の大学誘致に答えたというのが理由だ。

この大学をつくるにあたっていろいろな点で初物が多かった。私たちにも経験がなかったし、社会的にもない状況で、新しい物に対する抵抗も多かった。それでも多くの人に期待されてなんとか2000年にスタートでき、今日に至っている。

最大の問題は、当時、4年間で1600名、毎年400名の国外からの学生をきちんと受け入れるということ。そして、日本語、英語2トラックの授業をするというのも初物だった。また、奨学金ファンドの用意や、当時の文部省に理解を得るのにも時間を要した。

なぜいま「アジア太平洋」なのか。なぜ大学にそんな名前を付けたのか。
当初、大学をつくるときに、どういうところに焦点を当てるか学内で議論した。国際大学という説もあった。
しかし、「アジア太平洋はこれから21世紀を迎えて、世界の重要な潮流になる」という時代認識をもった大学をつくろうということで、この名前になった。

「アジア太平洋」は一義的には地域の概念だが、もっとグローバルな概念。
APUには、ヨーロッパ、アメリカ、アフリカからも学生が志願をして来てくれている。

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「アジア太平洋」は、最初の頃はアジアの途上国に対して援助をする概念で使われていたが、APECから変わってきた。
その概念は、当時、出会った論者、インドネシアの外交官として来日していたアリフィン・ベイさん、朝日新聞主筆の船橋洋一さん、寺島実郎さんらの書かれたものに示されている。
「アジア太平洋」というコンセプトは、地域を超えており、私たちのバックグラウンドとして非常に大きかった。

船橋洋一さんは「アジア太平洋は、世界東西の文明の融合としてこれから進化していくであろう」ということを言っている。
これまでの地球上の文明が集約され、融合を起こして新しい文明をつくるのではないか。それが次の時代の世界の動きであると言っている。
「アジア太平洋グローバリゼーション」という言葉を使っている。

「アジア太平洋」というのは、単に線引きをしてまとまろう、経済共同体をつくろうということではなく、今の地球上の経済、政治、社会、文化をも含めた大きな流れが、アジア太平洋に結集してきている、世界中の大きなトレンドを創っていくという意味。

だから、今アジアで起こっていることに対して、これからどう世界を引っ張っていこうとしているのかと、皆関心をもっている。

人類の文明は6千年のあいだ、進化している。
文明の発祥はユーラシア大陸、インド洋で、それから時代を経過しながら、地中海、ヨーロッパへと移り、アメリカを巻き込んで今日に至っている。
しかし、20世紀の終わりから新しい文明の動きが起こってきている。文明の中心軸がシフトしてきている。
もう一度、アジアを取り込んでいる。あるいは、アジアの発展は欧米の文明を取り込んだとも言える。文明が融合し、新しい文明が展開しようとしている。中国の猛烈な勢いはその一環として存在している。

3年前にノーベル賞をもらったアメリカの著名な経済学者、クルーグマンは、94年に「アジア経済の幻」という論文を書き、「アジアの経済成長は、ソ連経済と同じで長続きしない」と言った。
97年にタイのバーツが暴落した。APECも浮き沈みがあった。
しかし、2000年を超えて、中国やアセアンが発展し、アメリカも意識せざるを得なくなった。アジア太平洋の時代が本物になっている証だと思っている。

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アジア太平洋の文明を我々の責任でつくっていかなければならない時代となっている。
責任を果たすことができれば、この時代は本物になるし、人々の努力が実らなければ、歴史の上でつまらない時代だったということになる。

どういうことをしたら、この時代が人類の歴史に残るのか。
長い人類の歴史の中で、とくに18、19世紀に近代化した文明のなかで作られてきた負の遺産がある。今どうしても解決しておかなければ、補てんができない課題がある。
最大の課題は、地球環境の保全。第2番目は、覇権争いのない地球社会の構築。
そういうことに日本がどういう貢献をできるのか。また、中国やアメリカという大国がどういう貢献をできるのかが問われてきている。

日本は、環境の技術的なことでは、最先進国として大いに貢献できるし、覇権争いのない世界をつくるということに関しても、日本は核をもたない国であり、長崎はひとつの原点である。日本が世界の平和をつくることに貢献できれば、アジア太平洋の時代を歴史に残していけるのではないかと思う。

こういう課題は意識的に取り組まないといけない。
今の地球で、アジア太平洋の中軸を担っている3つの大国、日米中は共同で責任をもっているということを早い時期に表明してほしい。

そういう大きな課題に、首脳や政治家が役割を果たしてほしいと思うと同時に、それぞれの国の大学の役割も大きくなっていると思う。
日本の大学もこの20年で大きく変わってきた。象牙の塔、世の中と付き合わない体質は変わってきたが、日本の大学の姿が世界で見えているのかということに関しては、まだまだ不安を感じる。

日本の大学は、国際社会ではまだ大きな存在としては認知されていない。
日本の大学は閉じられていると言われている。
一番の問題は言語環境。日本語を使うのは、長い間当たり前だったが、韓国も中国も台湾もアジア諸国は、大学教育は英語が中心になりつつある。
高等学校も優秀なところは英語で授業をしている。
日本の大学に外から来た人は、非常に閉鎖的な環境だと感じている。日本の大学の言語環境を変えなければいけない。

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次に、企業に関する話だが、昨今、新卒の就職が難しいということが社会問題になりつつある。この問題は日本の景気の問題に加えて、採用する側の人を採る目が変わってきていることに、大学の関係者も学生も気づく必要がある。
大学の教育と企業のニーズは少しミスマッチを起こしている。雇用する側と大学の目線がずれてきている。

企業は、地球上のどこに行ってもやってくれる人間を求めている。多くの企業はこれからますます外へ行って仕事をしなければならない。そのときに、とにかく行って切り開くという意欲をもっている人かどうかを企業は求めている。逆に若者は外国に行かないという話を聞くと寂しい気がする。
日本の社会、日本の企業が閉じこもり的な傾向をもっていたことが、世界が急速にグローバル化していくなかで、苦しい思いをしているひとつの原因でもある。

企業からハーバードビジネススクール、スタンフォードビジネススクールなどに人材を派遣することがどんどん減っていっている。キャンパスから日本人の姿がなくなり、中国人、韓国人、インド人が増えている。

日本の企業が海外に行ってネゴシエーションする相手は、途上国の場合、多くは、欧米のアメリカのビジネススクールで磨かれた人材。相手はそこで得たノウハウで臨む。日本は内で育った人。
ビジネススクールで友だち同士なら電話で頼めるが、正面から行ったらなかなか難しいのがビジネスの世界。日本も昔は友だちだったが、今ははみ出ている。これは弱化していっているひとつの要素だと思う。
学生だけでなくて、企業もこもっているのではないか。
外に広がる試みをやらないと、内にこもるのは、これからの日本のあり方として望ましくない。

そして、観光で日本に外から来てくださるのもありがたいが、もっと日本の中に世界をつくる必要があると思う。日本の我々の社会にもっと世界があっていい。
そういう意味では、長崎は、日本の近代の始まりからその先端にあった。
やはり日本にもっと多くの人たちが世界から来て、定住して市民と交わり、学生同士もお互いを知り、力を出し合う場面が増える必要がある。

さらに「若者は世界を目指せ」というのが私が繰り返し言っているメッセージ。日本に世界の若者に来てもらいたいと同時に、日本の若者も外へ行かないと世界が見えないだろう。
(以上)

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今回の坂本和一さんも、前回の寺島実郎さんもおっしゃっていましたが、外に行って外から日本を見ないと、内からだけでは見えてこないことがたくさんあると私も感じます。それもいろいろな国・地域によって見え方が違う。往々にして日本の常識は世界の非常識であったりします。

私が中学生のとき、海外の人たちと文通をしていましたが、あるとき、アメリカの雑誌に送ったペンパル募集が、イスラエルの雑誌に転載されて、いきなり大量の手紙が送られてくるということがありました。
それまでは遠い世界だったイスラエルが、文通をきっかけにいきなり近づき、中東のニュースも真剣に聞き、その歴史にも興味をもつようになりました。

当時はインターネットもなく、格安航空券も出回っていなかった。けれども、今は、リアルタイムで海外の情報が入るだけでなく、ウェブやメール、スカイプで、海外への情報発信も非常に手軽になった。一方で、やはり現地の雰囲気は、直接自分が感じないとわからないと思います。とくにマスコミ報道にはさまざまなバイアスがかかっていることも多いです。
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皆さんもおっしゃっているように、今とんでもない速さでグローバル化していっている。世界をフィールドとしてとらえ、具体的にそういう行動をしていかないと、さまざまなチャンスを失ってしまう。世界をフィールドとしてとらえると、さまざまな可能性が広がると思います。
これは、地域の人を顧客としている中小企業・個人事業主であっても、学生の就職や、個人の活動であっても、そうだと思います。地方の小売業の個人事業主で、仕入れ先は海外で、自ら発掘している人もいます。

まさに「世界を目指せ」と同時に「日本の中に世界をつくる」ことが大切でしょう。

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