「関心領域」の残虐さを生む、人の愚かさは今も続く
アウシュビッツ収容所の隣人の映画
長崎では昨日(8/2)から上映の「関心領域」を観に行きました(長崎セントラル劇場。8/15まで)。長崎での上映がなければ福岡まで行こうと思っていたので、上映されてよかったです。
私は、映画の見方として、中身を詳しく調べることはせず、ネタバレなしで観に行き、観た後に詳しく調べるという方法をとっています。
そのため、「関心領域」は、❝アウシュビッツ収容所の隣で楽しく暮らす家族の話❞としか分からない状態で観に行きました。
ですので、観る前は、この「関心領域」は、隣のことでも関心がなく、故に何が起きているのか分かっていない「無関心」な状態を皮肉ったタイトルで、フィクション映画なのかなと思っていました。
ところが、そうではありませんでした(ここからネタバレ)。
張本人一家の実話だった
隣の家族は、アウシュビッツ収容所所長、ルドルフ・ヘス一家で、実話でした(映画としての脚色の部分もあるとは思いますが)。
このルドルフ・ヘスは、当時のドイツ政府が進めていた計画のなかの、ユダヤ人絶滅を「効率的に」進めることで評価され、出世した人物です。無関心どころか、戦後、ユダヤ人250万人(※)を虐殺した罪で絞首刑となっています(※本人の証言。この数字は誇張で、実際は100万人という説もあります)。
ルドルフの妻、ヘートヴィヒも、虐殺したユダヤ人の毛皮のコートやダイヤモンドなどを手に入れて喜び、ドイツ政府が進める計画(東方生存権)に則った、広い庭園のある邸宅での楽しい家庭生活に力を入れるなど、虐殺からの恩恵を得ていた人です。
そして「関心領域」は、実際にナチスが使っていた、アウシュビッツ収容所を取り囲むエリアの名前だということです。
「虐殺=日常」の環境
このヘス一家は、アウシュビッツ収容所で行なわれていることはもちろん知っています。仕事の成功も名誉も、豊かで楽しい家庭生活も、その上に成り立っているわけですから。
そして、飼っている馬や、庭の植物は大切にしているのに対し、ユダヤ人のことは自分たちと同じ人間とも、家の動植物とも思っていません。隣で行なわれている虐殺を、まるでスクラップ工場で金属を扱っているのと同じぐらいにしか思っていない様子です。
ヘスが参加している会議では、ユダヤ人を「荷」と呼んでおり、人間の虐殺が「荷の処理」と見なされていました。
ヘートヴィヒは「アウシュビッツの女王」と呼ばれていることを誇らしげに語ったり、ポーランド人の家政婦に八つ当たりをして「夫がその気になれば、お前の灰を空に撒くこともできる」と言ったりもしています。
子どもたちも、虐殺したユダヤ人の歯で遊び、庭の温室を収容所に見立てて、兄が弟を閉じ込めたりしています。
虐殺は、そもそも国の進めるプロジェクトであり、そこに罪の意識や疑問は感じていないのです。
この時代からすると未来人、かつ平和や人権が大事だと思っている自分には、「異常」だと感じられますし、虐殺を政策として進める政府も、支持する国民も、決して許すことはできません。
同じ人間であり、愚かさを過小評価するべきではない
ジョナサン・グレイザー監督(ユダヤ系イギリス人)はインタビューで、しかしながら、そんな残虐な彼らも、私たちと同じ人間であること、私たちは被害者ではなく加害者と似ていることを伝えたかったと、語っています。
彼らは、仕事に力を入れ、家族の幸せを願い、努力する人たちでもあるのです。
そして、グレイザー監督は、人間の心が、偏見、抑圧、非人間的な考え方、国家による支配を生んでいるとも。
映画とは別ですが、イスラエルの歴史学者、ユヴァル・ノア・ハラリ氏は、著書「21Lessons 21世紀の人類のための21の思考」(2019年刊)で、戦争に関して「人間の愚かさは、けっして過小評価するべきではない。人間は個人のレベルでも集団のレベルでも、自滅的なことをやりがち」「合理的な指導者でさえ、はなはだ愚かなことを頻繁にしでかしてしまう」と書いています。
今も世界各地で戦争は起こっており、パレスチナの人々は、全土を破壊され、虐殺され続けています。
グレイザー監督は、アカデミー賞国際長編映画賞の受賞スピーチで、イスラエルのガザ攻撃にふれ「ユダヤ人としての自分の存在とホロコーストが乗っ取られてしまった」と発言しています。
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今も続く愚かさに救いはないのでしょうか?
ハラリ氏は「戦争は避けられない」という思い込みが戦争を呼び、「戦争は断じて不可避ではない」とも書いています。
私は、国の命運は、国の政治的トップや権力をもつ人たちにかかっている部分も大きく、彼らを選んでいる国民も影響力をもっていると思います。
そのため、私たち国民は、国が自滅的な方向に進まないようモニタリングし、プロパガンダ、とくに戦争プロパガンダの罠に陥らないようにしなければいけないと思っています。