社会問題も見えながら明るい結末の映画「花嫁はどこへ?」

「花嫁はどこへ?」は、2023年のインド映画で、2001年のインドの田舎町が舞台です。

予期せぬ出来事に対する前向きさが素晴らしいと、評判が高い映画だったので、見てみようと思いました。(ネタバレ有り)

教えに従うプールと対照的な女主人

結婚式を終えて夫とともに列車で夫の家に向かう2人の女性(花嫁)が、入れ替わってしまうという話です。

2人は、似たような赤い衣装に赤いベールという花嫁衣裳を着て、顔を隠していました。本人たちは足下しか見えません。列車が混んでいたので、一人の夫が降りるときに間違えて自分の妻ではない女性(名前はジャヤ)を連れて行ってしまいます。

間違った女性を連れ帰った男性は、女性を自分の家族に託し、警察に相談に行きます。妻が行方不明になった男性も警察に行きます。

置いていかれた女性(名前はプール)は、駅に取り残され、一晩を過ごし、翌朝、駅の事務所に連れて行ってもらいます。けれども、大切なことは男性に任せるという考え(教え)もあり、貴重品はすべて夫に預けていたし、夫の住所や電話番号は覚えていませんでした。実家に一人で帰るのも「ちゃんとした女性」はそんなことはしないという抵抗感がありました。

プールは、駅の屋台の女主人の世話になりながら、夫に見つけてもらおうとしますが、女主人はそもそも男性に対して懐疑的です。

女主人は「この国の女性は皆詐欺にあっている」と言います。女性は何でも出来るのに、出来ないと思い込まされているというのです。また、女主人は、夫と息子が暴力的でお金を巻き上げるので追い出したとも言っています。

プールは、屋台を手伝い、お菓子を作って屋台の売り上げに貢献しようとします。

ジャヤの事情に憤りを感じるが……

一方、ジャヤは、自分と夫の名前や住所、連絡先に関して嘘をつき、携帯電話を隠し持っていて、どこかへ連絡するなど怪しい振る舞いをします。

警部補に、結婚詐欺か泥棒ではと思われるのですが、事情がありました。

ジャヤは、高校で主席という優秀な女性で、10年後は有機農法がポピュラーになると思い、大学で農業を学ぼうとしていたのに、結婚させられてしまいました。相手の男性は前妻を焼き殺したかもしれない人です。諦めていたところ、運命のいたずらで別の場所に連れて行かれたのをチャンスとして、大学に行こうと画策していたのです。ジャヤは貴重品は自分で持っていました。

ジャヤは、それだけでなく、ひそかに男性の妻を見つけるためのチラシを作ったり、男性の家族の女性たちや男性の仲間にもよい影響を与えたりしていました。

花嫁が入れ替わるというのは、コメディ映画かなと思っていたら、女性が置かれている厳しい現実が見え、もどかしい気持ちになる部分も多々ありました。

それこそ女主人の言う「詐欺」を信じて、「男性に頼る=ちゃんとした女性」になろうとしている女性たちや、ジャヤの事情やジャヤの夫の在り方に対して、憤りを感じます。

いろいろな幸せがあり選べる

しかしながら、この映画はそれを社会問題としてシリアスに扱うのではなく、こうだったらいいよねという理想的な結末を描くことで、希望がもてる映画になっていました。

舞台は2001年で、それから20年以上が経った今、そういった状況も改善されつつあるようです。逆に言うと、舞台を20年前とすることで、今も解決し切れてはいない課題を扱ううえで、「今のことではないですよ」と、人々を刺激しない意図があるのかもしれません。

この映画の監督、キラン・ラオは女性で、この映画のもとになった脚本は2018年に夫のアーミル・カーン(2021年に離婚)が薦めたものです。元の脚本は、男性(ビプラブ・ゴースワーミー)が書いたものですが、女性脚本家のスネーハー・デサイが、屋台の女主人や、くせのある警部補のキャラクターを加えたようです。

監督と脚本の仕上げは女性なので、女性が置かれている状況に関してよく分かっているはずで、それをどう描くかは興味深い部分です。警部補に関して、映画の結末に関しても、理想的な姿が示されていて、最後は明るい気持ちになる映画でした。

そして、この映画は「これが正しい」「これからの時代はこうだ」「こうするべき」と主張するのではなく「いろいろな幸せがあっていいよね」「本人が選べるのがいいよね」という考えが伝わってきます。

いわゆる「古い考え」も、頭から否定するのではなく、よい部分は認め、皆がより幸せになるために、よくない部分は前向きに変えていきましょうという気概が伝わってくるところがいいなと思いました。