アメリカの情報戦がもどかしい「リッチランド」
「リッチランド」は、「関心領域」を観に行ったときの予告編で知りました。
アメリカ、ワシントン州の郊外の町、リッチランドを舞台にしたドキュメンタリー映画です。
核燃料生産拠点として作られた町
ここリッチランドは、1942年からの原爆開発極秘プロジェクト「マンハッタン計画」における核燃料生産拠点、ハンフォード・サイトで働く人とその家族のために急遽作られた町です。
もともと6つの先住民族が住む広大な土地ですが、原子炉冷却に必要な水があり、近くに多くの人が住む都市がないため、ここに町が作られました。
長崎に投下された原爆のプルトニウムもここで作られています。
第二次世界大戦後も、冷戦によるニーズで1987年まで核燃料生産が行なわれていました。
リッチランド高校の校章はキノコ雲で、スローガンは「光るまで爆撃しろ」。フットボールチームの名前は「リッチランド・ボマーズ(ボマーは爆撃機という意味)」で、キノコ雲に加えて、B29爆撃機がトレードマークです。
ある教師が校章を変えようとしましたが、反発がすさまじく、変えられませんでした。
現在(2019年時点)、校章やスローガンが「大量破壊兵器はイヤ、銃でもイヤ」「スローガンもイヤ」だから変えたいという高校生たちもいますが、「変えるのを反対する人も同じぐらいいるだろう」と言います。
キノコ雲にこだわるのは、この町の人たちは「原爆が戦争を終わらせた」ことが誇りだからです。「原爆を投下しなければ、今頃、私たちは日本語を話していた。原爆はアメリカを守った」と語る人も映画に登場します。マンハッタン計画75周年のお祝いのパレードも行なわれています。
その一方で、ハンフォードの大部分の土地は、核廃棄物で汚染され、立入禁止エリアになっています。それ以外の場所を環境浄化しています。
先住民は、すぐ返してくれるはずの土地を永久に失ってしまったのです。
ハンフォードで働いていて、知らず知らずのうちに被爆し、亡くなった人もいて、訴訟になっています。
ここを訪れた、広島出身でアメリカ在住の被曝3世のアーティスト、川野ゆきよさんは、母を癌で亡くしています。けれども、祖父が日本兵として中国へ派兵されてもいて、「日本の暴力の歴史が彼(祖父)を沈黙させた(原爆の話をしないため)」とも言っています。
長崎の人たちはこの町の人たちを恨んではいない
この前のブログに書いた「オレンジ計画」(アメリカが日本を追い詰め、戦争を仕掛け、絶滅させる計画)は、ここの誰も知らないようです。
川野さんも知らず、この町の人たちと同じように、「原爆で多くの人が亡くなったことはよくないことだが、日本が戦争を始め、侵略したからだ」と思っている節があります。
映画のなかで、川野さんがリッチランドの人たちに、原爆による被害、苦しみをいまひとつ伝え切れていないように感じるのは、「日本が悪い」という後ろめたさを持っているからかもしれません。
この人の「ファットマン(長崎へ落とした原爆)」を模したアート作品は、映画のパンフレットでは「和解」のあり方を示すイメージと捉えられていますが、私は何の和解なのだろうかと思いました。
長崎の人たちは、アメリカの国策によってプルトニウムを作ったこの町の人たちに、何の恨みも抱いていないと思います。町の存在すらほとんどの人は知りません。
映画のなかで、1963年にジョン・F・ケネディがこの地を訪れ、ここの人たちが「世界の歴史を変えました」と言っているシーンがあります。
戦前も戦後も、為政者は情報戦(プロパガンダ)に力を入れ、国民は大義によって、愛国心を高めます。この町の人たちも、国の推奨する、誇りある仕事に熱心に取り組んだだけなのです。
戦争プロパガンダ10の法則
以前もブログに書いた、歴史学者、アンヌ・モレリの「戦争プロパガンダ10の法則」(下記の1~10)に則って、戦争は始まり、終わった後も、人々は「正義のために戦った」と信じています。
イスラエルのパレスチナに対するジェノサイドも「自衛のため」という大義が繰り返し伝えられています。
- われわれは戦争をしたくはない → アメリカは戦争をしたくなかった(イスラエルは戦争をしたくなかった)
- しかし敵側が一方的に戦争を望んだ → 日本が戦争をしかけた(ハマスが戦争をしかけた)
- 敵の指導者は悪魔のような人間だ → 日本人は悪魔のような侵略者だ(ハマスは悪魔のような犯罪者だ)
- われわれは領土や覇権のためではなく、偉大な使命のために戦う → アメリカを守るために原爆を落とした(イスラエルの自衛のためにハマスの拠点を爆撃した)
- われわれも誤って犠牲者を出すことがある。だが敵はわざと残虐行為におよんでいる → アメリカは日本にビラを落として民間人にはちゃんと警告した(イスラエルは民間人の被害は最小限にしている。ハマスの行なったことは、ホロコーストだ)
- 敵は卑劣な兵器や戦略を用いている
- われわれの受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大
- 芸術家や知識人も正義の戦いを支持している
- われわれの大義は神聖なものである → アメリカは正義のため、民主主義を守るために戦った(イスラエルは自衛のために戦っている)
- この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である → アメリカは「オレンジ計画」に異論を唱える上層部は解任、降格された(イスラエルではデモ隊が逮捕されている)
神聖な大義のもと、相手にどんな犠牲が出たとしても「自業自得」「罰」であるというロジックなのです。この映画を見ながら、そんなことを思いました。
ボロボロの日本が勝つ可能性は皆無だった
それにしても、リッチランドの人たちに、事実を伝えたくなります。
日本は、オレンジ計画通りのアメリカの日本軍壊滅作戦で、民間人も含め260万人が亡くなったこと、さらに、日本全土を焦土化する作戦により、北海道から沖縄まで1045回の空襲を受け、40万人が亡くなったことです。
ボロボロの日本が勝つ可能性は皆無、アメリカを攻め、日本語を話させるような状況は皆無だったのです。
そんな状況が分かっているのに、原爆を落として、さらに民間人、それこそ赤ちゃんも子どもも殺し、生き延びた人たちを原爆症で一生苦しめる必要はなかったのです。
アメリカの国政の立場では、「お金をかけたからには、核実験をする必要があった」「黄色人種だから構わない」という理由での原爆投下ですが、良心をもった国民の立場では「人を殺したり傷つけたりしてはいけない」「物を壊してはいけない」ということは通じる可能性があると思います。
リッチランドも、ハンフォードで働いていた人たちが被爆し、先住民の土地は2度と使えない土地になってしまっています。そういった、光と影の「影」の部分を、良心をもった国民の立場としては、認識しているかもしれません。
リッチランドコミュニティセンターの人が言っていた「敵味方問わず傷ついた人々をケアすること」が大事だと思います。
そして、リッチランドが環境浄化に取り組んでいることなど、前向きな方向で協力し合えるのではないかとも思います。