日本征服のための「オレンジ計画」という事実
プロパガンダ(情報戦)の成果
アメリカは、今でも「日本が真珠湾攻撃を仕掛けたから戦争になった」「悪しき侵略国家、日本に果敢に立ち向かい勝利した」「原爆が戦争を終わらせた」というプロパガンダ(情報戦)をし、世界中でそう信じている人が多いです。
日本に対しても、戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が徹底してこのプロパガンダを行ない、その後も続けているので、その「成果」が出ています。
しかしながら、アメリカは「オレンジ計画(オレンジ作戦、War Plan Orange)」に基づいて、日本を戦争に追い詰め、敗戦に導いたことが分かっています。
真珠湾攻撃の無線は傍受されていたし、むしろ、日本が攻撃するように仕掛けていました。また、日本からの停戦交渉を無視して、必要がないのに原爆を2度落としています。3度目の原爆を東京に落とす間際に、日本が無条件降伏しました。
日本は、アメリカによる日本征服のための「オレンジ計画」にまんまと引っ掛かり、今に至っているのです。
不思議なことに気づく
私が「オンレジ計画」を知ったのは最近です。
きっかけは、昨年、「人権」に関して、フランクリン・ルーズベルトを調べていたとき、不思議なことに気づいたことです。
それは、ルーズベルトは、未来から来た人かと思うぐらいに、物事が起きる前に、起きた後のことを知っていたのです。
しかし、それは未来のことを知っていたわけではなく、計画通りに進めていたのだと分かりました。
第二次世界大戦(1939年勃発)が始まる25年前の1914年、大統領になる前から日本との戦争の計画を立てていたのでした。
「太平洋戦争が勃発する(勃発しそう)→ 作戦を考える」ではなく、「作戦を考える(1914年)→ 太平洋戦争に導く(1941年)」=「オレンジ計画」だったのです。
「オレンジ計画」に関しては、1986年にNHKで放映され、本(「ドキュメント昭和5 オレンジ作戦」NHK”ドキュメンタリー昭和”取材班、角川書店、1986年刊)も出ています。
この時でさえ、膨大な資料が出ていたのが、1994年に、アメリカの、50年経つと秘密書類を公開する仕組みで、さらに多くの情報が公開されています。「日本征服を狙ったアメリカの『オレンジ計画』と大正天皇」(鈴木荘一著、経営科学出版、2023年)は、2012年刊の復刻版です。
オレンジ計画の流れ
オレンジ計画(1897年~)に至るまでと、計画の流れは下記です。
- アメリカは、1846年頃から「日本を軍事的影響下に置きたい」と考えていました。
- 1852年からペリー(艦隊)を訪日させ、翌53年には沖縄の拠点化も進めています。また、1854年に、江戸幕府を恫喝して、日米和親条約を結ばせました。
(この後、アメリカは南北戦争になり、いったん対外進出は中止します)
- 1897年に「対日戦争のための計画(オレンジ計画)」をスタートさせています。
- 1898年、アメリカは、ハワイを併合しました。日本がこれに対して戦いを挑んでくると踏んでいましたが、そうしなかったので、次の機会を待つことにしました。
- 1905年、日露戦争で日本が勝ったため、1906年、日本を徹底的に抹殺するべく真剣に戦略を練ることにしました。そして1914年にパナマ運河を開通させるなどして、着々と戦争に備えていきます。
- 1914年、海軍次官だったフランクリン・ルーズベルトが、計画をバージョンアップします。
- 日本は、アメリカの目論見とは異なり、太平洋諸島に軍事的な関心を抱いていなかったので、日本人を挑発し、追い詰めて、大陸へと向かわせる計画を練ることにしました。
- 日英同盟を破棄させることが重要な目標となり、英米アングロサクソン同盟を強化し、日本人移民をアメリカから排除するため、黄色人種=黄禍作戦を行なっています。
- 1923年にオレンジ計画はほぼ完成しました。
計画は、アメリカ海軍が日本周辺の諸島を占領し、日本海軍を孤立、壊滅させ、沖縄も占領するというものです。さらに、日本本土に焼夷弾と毒ガス弾を投下して焼き尽くし(毒ガス弾は、原子爆弾となりました)、無条件降伏へと追い込むというものでした。
後はタイミングを待って仕掛けるだけです。 - 1933年にフランクリン・ルーズベルトが大統領になったため、1936年に計画を改訂し、1939年に、日米通商条約を破棄し、いよいよ日本に戦争を仕掛けることにしました。
- 石油禁輸により日本を追い詰め、日米首脳会談も拒否し、太平洋艦隊をハワイの真珠湾に移動させ、日本を挑発することにしました。この計画に反対するアメリカの上層部は解任、降格されています。
- 結果、太平洋戦争(1941-1945年)は、アメリカの計画通りに始まり、進み、終わっています。
- 降伏した日本に、日本占領連合軍最高司令官としてやってきたマッカーサーは、戦艦ミズーリに、ペリーの黒船の星条旗を博物館から持って来させて飾り、降伏文書への調印が行なわれました。「第二の開国」の演出ということですが、アメリカはペリーの前(1846年)からの100年来の日本征服の野望を叶えたわけです。
- 日本にアメリカ軍の基地が置かれ、日米地位協定などで、今もアメリカは日本に大きな影響を与えています。
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NHKの本によれば、日本でもアメリカを仮想敵国とした戦争計画を立てているのですが、「オレンジ計画(オレンジ作戦)」のほうが、膨大で緻密で総合的、かつ攻撃的で、強い意志が感じられ、上手(うわて)だということです。
これに対して、日本は、陸軍と海軍と国家がバラバラに計画を立てているうえ、ペーパープラン(実現性に乏しい計画)も多かったようです。
原爆慰霊碑の碑文
広島の原爆慰霊碑の碑文には「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」とあり、「過ちを繰り返さない」の主語は誰か、そして、どういう意味なのか、長く論争が行なわれてきています。
これに関して、NHK広島放送局が、昨年、碑文の言葉を作った当事者のことを「WEB特集」にしています。
それによると、主語は「私たち全世界の人々」のようです。
しかし、長い年月をかけて「オレンジ計画」を進め、その後も、イラクやシリアの征服を目論み、イスラム教の国々は恐ろしいというプロパガンダを行ない、イスラエルのパレスチナ虐殺にも積極的に加担しているアメリカに、「過ち」という意識はまったくないと思います。
アメリカからすると、情報戦を使うことも、さまざまな手で敵を壊滅させようとするのも、勝つためには当然のことであって、そこに善悪はないのです。
むしろ、日本にとっての過ち=アメリカに陥れられたことと考えてしまいます。
ちなみに、アメリカは「アメリカ合衆国が関与した戦争一覧」のように、ずっと戦争をし続けている、ある意味、「戦争のプロ」です。
アメリカだけでなく、戦争が常態化している国々にとって、「全世界の平和」をイメージすることは難しいかもしれません。
人権をもつのは自分たちだけ
戦争は、基本的に、自国民(民族)よりも劣った他国民(民族)は、人間ではなく「人権」はないという前提で進められています。
「オレンジ計画」を策定したアメリカは、日本をそう見ており、原爆投下を決断したトルーマンは、日本人を「獣」だと言っています。
現在も、アメリカやイスラエルの政治家による、パレスチナへの人権を無視した発言や行動が続いていますが、同じ人間だとは思っていないのです。
しかし、この考え方は、国政レベルの戦略であり、国の権力者が国民を巻き込んでいるとも言えます。国民は、国の権力者に従わないのは難しい。国が決めた法律に従わないのは犯罪になりますし、同調圧力もあります。
しかし、国民のレベルになると、どの国にも良心のある人たちはいて、たとえ他国・他地域・他民族でも、同じ人間を虐殺し、街を破壊するのは人として間違っているという考えをもっています。
イスラエル政府がパレスチナに対して行なっている虐殺に対して、世界中の心ある人たちが声を上げているのは、その表われであると思います。
また、国際司法裁判所(ICJ)が、イスラエルのパレスチナ占領政策は国際法違反とし、国際刑事裁判所(ICC)が、イスラエルのネタニヤフ首相、ガラント国防相、ハマスの指導者3名に逮捕状を請求したのも重要だと感じます。
人類が、世界滅亡への道ではなく、世界平和への道を選択できる可能性はまだ残っていると思います。
ちなみにこのブログは、歴史上の、あるいは現在のさまざまな事実を知って、これからの日本、そして世界の平和のために活かす目的でまとめています。