予想外の結末がなかなか切ない映画「最後の乗客」

最後の乗客

震災10年後の宮城が舞台

土曜日に福岡に行ったときに「サウンド・オブ・フリーダム」とともに見た映画です。
「忘れない、パレスチナの子どもたちを」を見たかったのですが、時間が合わず、他の映画を探していたら、「最後の乗客」を見つけました。
説明を読んでいると、「あっ、この映画、あの映画かも?」と思いました。

それはどういうことかというと、この映画は、タクシー運転手の話なのですが、最初に出てくる「噂話」に関して私も知っていて、その後、それを映画にするという、これもまた「噂話」を聞いていたのです。

この映画は、震災10年後の宮城の話です。
タクシー運転手のあいだで、ある噂話がささやかれます。それは、深夜、若い女性がタクシーを停め、目的地は浜町と言う。けれども、そこは震災で大きな被害を受け、復興していない場所。目的地に着いたら、女性は消えていた。つまり、女性は震災の犠牲者(幽霊)だったという話です。

このような話は、震災後、宮城だけでなく、福島や岩手でもたくさんあり、マスコミでも取り上げられていました。
そして、その後、それを映画にするという話も漠然と聞いていました。

怪しそうな人が怪しくなかった?

この映画の主人公はタクシー運転手。同僚のタクシー運転手から、深夜の若い女性の噂話を聞いたものの、笑い飛ばして走っていたら、本当に若い女性(サングラスとマスク姿)が手を挙げ、「浜町まで」と言ってきました。

(ここから少しだけネタバレ)

そして、女性を乗せて走っていると、いきなり別の女性と子供が飛び出してきます。
この母娘も「浜町まで行きたい」というので、若い女性に確認しようとしたら、さっきの急ブレーキでサングラスが外れていて、じつは、運転手の娘でした。娘は、東京の大学に行ったものの、連絡をよこさないと思っていたら、いきなり帰ってきていたのでした。
その娘は、母娘を訝しがっている様子です。

タクシーは、娘と怪しい母娘を乗せ、浜町に向かおうとしますが、止まってしまいます。無線も携帯電話もつながりません。

運転手はボンネットを開けて確認しますが、解決しないので、応援を呼びに行きます。
そのあいだに、子供がいなくなります。子供はおじいちゃんに呼ばれて外に出ますが、おじいちゃんは、震災の犠牲者のようです。
母親と娘は手分けして子供を探します。

運転手の父と娘とのすれ違いの経緯なども明らかになります。
ひと言でいうと、コミュニケーション不足です。娘は、かつて、父にサプライズをしようとしていたのに、ちょっとしたことで誤解され、叱られてしまいます。それに対して説明せず、怒って立ち去ってしまっていたのです。

子供を探しているあいだに、運転手は、同僚の運転手と戻ってきます。同僚はたまたま通りかかったようです。
運転手はタクシーに誰もいなくなっているので、驚きます。娘が帰ってきていた旨を同僚に伝えますが、同僚は訝しがります。東京の娘に何かあったのではというニュアンスのことを言います。

ここらへんまでで、母娘が怪しいのか? いや、子供はおじいちゃんに呼ばれたということは、生きている? 子供が生きていれば、一緒にいる親(母)も生きているのでは? と思えてきます。えっ、皆、生きているのか。でも、親は変な発言もしているので、怪しい気もします。
そもそも、何をしに夜中に浜町に行くのだろう?

どんでん返しにビックリ

その後、娘と母娘はタクシーに戻ってきます。

私は、それまでの映画の細かい部分で、整合性がとれていない点が気になってきます。怪しい。どういうこと?
しかし、ロジカルに考えると整合性はとれていないけれども、映画には関係ないということはよくありますので、何とも言えません。

話が進んでいくにつれ、「えっ、そうだったの」という予想していない、どんでん返しとなります。チラシに「この物語は、ある瞬間<形>を変える」と書いてありますが、まさに形が変わります。

このどんでん返しは、さすがに書くわけにはいきませんが、なかなか切ない話です。
ぼかして書くと、娘は娘なりに苦労して頑張っていたのでした。父に伝えるタイミングを失って後悔していました。人は、やはり、その時々、相手に分かるように伝えないといけないと思いました。

そして、父はあることに気がついていませんでした。そのことは乗客の母も途中まで気がついていませんでしたが、父より先に気がついて、父に伝えます。もしかしたら、子供や同僚は気がついていないままかもしれません。
それは、気がつかないですよね。私の周りにも気がついていなさそうな人がいると思いました。果たしてそれに気がつくものなのか?

どんでん返しで、ああ、そういうことなのかと涙が出てきます。
長崎では今のところ上映の予定はありませんが、ぜひ見てほしい映画です。