「風が吹くとき」核戦争の影響をほのぼのと描いた映画

老夫婦が体験する3度目の世界大戦

昨日、「風が吹くとき」「リッチランド」の2つの映画を観に行きました。

(一部ネタバレあり)

「風が吹くとき」は、1986年にイギリスで制作されたアニメーション映画のリバイバル上映です。イギリスの片田舎で暮らす老夫婦が、3度目の世界大戦によって核爆弾を受ける話です。

この夫婦は、2度の世界大戦を経験していますが、子どもの頃の懐かしい思い出になっています。
第一次世界大戦は1914年~1918年に行なわれており、そのとき彼らは子どもだったことから、1900年代~1910年代に生まれたと考えられます。そのため、1986年の時点で、彼らの年齢は70代~80代だと推測されます。

夫のジムは、ラジオで、戦争が起きそうなことを聞き、政府が配ったパンフレットに従って室内シェルターを作り、物資などを準備します。妻のヒルダに危機感はほとんど感じられず、日常生活のペースを乱されることを気にしています。

この政府が配ったパンフレットの内容は、ジョークが極まっているなと思いながら映画を見ていたところ、じつはイギリス政府が実際に配ったものだということです。つまり、イギリス政府は、原爆の影響をあまり分かっていなかったのだと思いました。

この映画では、核爆弾を受けて、家は部分的に破壊されますが、2人は生き残ります。
最初、この2人は死んでいて、魂が浮遊しているのかと思っていたら、本当に生き残っていました。
内心「いやいや、もうこの段階で吹き飛ばされているよ」とツッコミを入れながら、見ていました。

ジムは、もうすぐ救助が来てくれると信じ、ヒルダを励ましていました。

小学生時代の会話と展示

救助に関しては、小学生の時の友人たちとの会話を思い出します。
長崎の原爆で、長崎医科大学病院(現・長崎大学病院)は、爆心地から500mの距離にあったため、壊滅的な被害を受けました。その近くに原爆を落としたことに関して、「偶然」なのか「わざと」なのか、友人たちと話をしました。

「わざとでしょう。救助できなくするために」
「いやいや、偶然でしょう。常盤橋が目的地で、こっちに落としたほうが、被害が大きかった(爆心地は、そこから外れていた)」
などと言っていました。この常盤橋は街中で、私たちの小学校の校区内でもあります。

いずれにしても、有事の際は、平時の救助スタッフ自体も打撃を受ける可能性が高く、「救助は難しい」というのが、私たち小学生の認識でした。

そして、原爆資料館には、太平洋戦争当時の新聞が展示されていて、大本営発表の、成果を捏造し、被害を隠ぺいした記事がたくさん出ていました。長崎の原爆に関しても、投下の翌日の8月10日の段階では「長崎市に新型爆弾 被害は僅少の見込み」となっていました。「僅少=ごくわずか」です。
ちなみに、長崎市の当時の人口は約24万人で、投下の年の12月末までの死者数は約7万4千人、負傷者数は7万5千人と言われています。

11日には「瞬時にして多数の市民を殺傷」という記事が出たらしいのですが、展示にはなかったので、私たち小学生は、政府もマスコミも信用できないと思ったのでした。

被害はイメージしづらい?

核保有国の人たちは、核兵器の威力を、自分事としてはなかなかイメージしづらいと思います。

たとえば、昨年11月、イスラエルの閣僚、アミハイ・エリヤフ氏が、ガザへの核兵器使用も「選択肢の一つ」と言い、アメリカの下院議員、ティム・ウォルバーグ氏も同様の発言をしています。

けれども、ガザに核兵器を使用すれば、イスラエルも被曝する可能性があることを、この人たちは分かっていないなと思いました。
長崎の原爆由来のプルトニウムが、熊本県の阿蘇でも見つかっています。直線距離116キロです。ガザーテルアビブは、直線距離60キロ、エルサレムは80キロ、もっと近い街もあります。
そして、放射性降下物は、ずっと放射線を出しています。なんといっても、プルトニウムの半減期は、2万4000年ですので。

イスラエルで、核シェルターにいても、放射性降下物を確認し、誰かが除染する必要があります。
「風が吹くとき」でも言っていましたが、「放射能は目に見えない」ので、厄介なのです。そして、核はじわじわと影響を与えます。

核保有国は、核兵器の使用がもたらす悲劇をもっとイメージする必要があります。
「風が吹くとき」は、穏やかな日常生活が、核兵器であっけなく消えることを、ある意味、ほのぼのと描いた映画だと思います。