昨年は「人権」「命」について考える年でした。今年も出来ることをやっていきたい
元旦に、Facebook、Instagram、Xにアップしたものをこちらにも載せておきます。
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旧年中は大変お世話になり、ありがとうございました。
昨年は、「アンガーマネジメント経営賞」、広島での「アンガーマネジメントと人権」というテーマでの講演、そしてガザ戦争を通して、「人権」について考えました。
とくにガザ(パレスチナ)に関しては、自分が中学生のときに初めて知って感じた理不尽、不条理が続いている、いや、悪化している。日本からの医療関係者の心が折れ、ジャーナリストや国際機関のスタッフも容赦ない目に遭うなかで、遠くにいる一市民の私たちに出来ることは? などと思いました。
そして、父がコロナになり、余命宣告されたりもして(コロナは治りましたが、衰弱して入院中)、自分も含めた命について考えました(自分はあくまでも120歳ぐらいまで元気に生きるつもりですが)。
何年か前、元気だった母が突然亡くなったときに、検視の医者に「お母さんはいろいろ心配されるほうでした?」と聞かれ、「最近はそうですね」と言ったら、「年をとってからは、あれこれ心配するのは命取り」と言われたので、なるべく能天気に過ごそうと思っています。
世界にとっても、自分にとっても、理不尽だと感じることは起きたりしますが、希望を失わず、出来ることをやっていこうと思います。
本年もよろしくお願いいたします。
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(追記)
相手がひどい目に遭わせた。だからやっつけるという発想
ジェノサイドに関して、イスラエルの人たちはどう思っているのだろうと思い、「ハアレツ」のオンライン(英語版)を購読して読んでいます。「ハアレツ」はイスラエルの新聞ですが、中道左派と言われ、パレスチナ側に立った記事もあります。
あくまでも私の感想ですが、イスラエルの多くの市民は、自分たちを守ることに精一杯のように思えます。
10月7日にひどい目に遭った、これまでずっと自分たちはガザの人たちに慈悲を与えて来たのにひどすぎるというニュアンスを感じます。
夫がイスラエル軍で亡くなったという女性は、自分や子どもたちの悲しみで精一杯。そこからガザの人たちの悲しみ、痛みにはまったくつながりません。
他の人も、世界に、自分たちを責める人たちがいるのが本当に分からない感じです。
自分たちが今手を緩めるとひどい目に遭う。だから、ひどい目に遭わせる人たちをやっつけているだけというロジックです。
自分たちは被害者であり、加害者だとはまったく思っていない感じがします。
イスラエルの市民が、直接手を下しているわけではなく、悲しみや痛みを感じている人もいるでしょうが、自分たちの支持する政府、国防軍がジェノサイドを行なっていることへの認識は皆無のように感じます。
「叩き活」「責め活」でも書いたとおり、攻撃的な行動は、自己防衛の気持ちが強く働くことから起こるため、政府、国防軍はむしろイスラエル国民を守る正しい行動だと、市民は支持しているのではないでしょうか?
デール・カーネギーの「人を動かす」に出てくる、凶悪な殺人鬼、クローレーの話を思い出します。
クローレーは、自分は「やさしい心」「だれひとり人を傷つけようとは思わぬ心」をもっているという手紙を残し、死刑になる際も「自分の身を守っただけのことで、こんな目にあわされるんだ」と言ったという話です。
相手がひどい目に遭わせた、だからやっつける。相手が悪で、自分たちが正しいというストーリーは、以前このブログで書いた、歴史学者、アンヌ・モレリの「戦争プロパガンダ10の法則」にも則っています。
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今年も「人権」について考え、出来ることをやっていきたい。とくに自分の専門である感情のマネジメントから、互いに尊重しあい、各人が力を発揮できる、平和で活力溢れる世界になるよう尽力したいと思います。