「無力感」で諦めるのは思う壺~ガザに対してできること

徐々に無力感と申し訳なさへ

NHKオンデマンドで、「首都圏情報 ネタドリ! ガザで続く人道危機 首都圏の私たちにできることは?」(10/4放送)を見ました。

ちなみに「首都圏情報」は、関東甲信越で放送されている番組ですが、NHKプラスと、オンデマンドで首都圏以外でも見られます(他の番組と比べると短期間ぽいですが)。

この「ガザで~」では、ガザ支援の行動を起こした首都圏に住む人たちの紹介とともに、街の人たちにも話を聞いていました。

行動を起こした人たちでは、現代アート作家の人がガザへの寄付を募る作品展を開き、東京大学の学生がキャンパスでテントデモを行ない、長年ガザで子供の心のケアを行なってきた心療内科医がオンラインで現地の人にアドバイスをしているのが紹介されました。

しかし、イスラエルの攻撃が続き、被害が拡大するなか、キャンパスでのテントデモは参加者が徐々に減り、0になり、現代アート作家の人も、心療内科医の人も、無力感を感じ、「普通の生活をしていることが申し訳なく思えて」きてもいました。

街の人からは、攻撃が長引くなかで「関心を持ち続けるのが難しい」「紛争のひとつと思えてきた」という声や、寄付・募金をしていたのが、それを見る機会が減っているという声もありました。

関心を持ち続けることが大事

「申し訳なく思えてくる」ことに対して、パレスチナの人は、番組で「自由な生活をしている人々は相手を思いやることができる。興味と関心を持ってくれることがガザの人たちの生きる糧になる」と言っていました。

そして、私たちにできることは、「関心を持ち続けること」で「(ガザの人たちが世界と)つながっている感じ」を失わないようにすることだとも。

戦闘への理不尽さと無力感を感じますが、無力感を感じて、離れてしまうことは、攻撃を続ける人たちの「思う壺」でもあります。

そういうことを高校生のとき、政経の先生が、為政者の戦略として言っていたなとか、クラウゼヴィッツの「戦争論」、カイヨワの「戦争論」あたりに書いてあったなどと思います。

つまり、戦争では、相手が無力感を感じ、戦う気力をなくし、諦めるように仕向けるということと、戦争でなくても、人を支配しようとする場合、無力感を感じさせると支配しやすいということです。

そして、10月8日のCNNの記事によれば、この戦闘で亡くなったジャーナリストの数は128人で、紛争地域での死亡では最多だということです。また、複数の報道機関と報道擁護団体は、イスラエル軍が故意にジャーナリストを標的にしていると非難しています。

ジャーナリストを殺すことにより、事実を知られる機会を減らしたいわけですから、今、現地から送られてくるジャーナリストや市民からの貴重な情報をキャッチすることが、まずは大事だと思います。

知ってもどうにもできないと思うのも「思う壺」です。

世界のみんなで、少なくとも今の事実を見続けることが大事だと思います。
そして、これまでの歴史的な事実も知り、可能な人は、知らない人に知らせることだと思います。さらに、政治家に圧力をかけるなり、自分ができることをやり続けるしかないと思います。

ちなみに、長崎の団体と広島の団体とで連携しての動きを企画中です。