世界人権宣言の成り立ちでがっかりしたこと

ここ何回か、人権をテーマにコラムを書いていますが、現在の各国の人権の考え方、施策の元になっているのが「世界人権宣言」です。前文と30の条文から出来ています。

この「世界人権宣言」は、1948年12月に国連総会で採択されていますが、国連自体が第二次世界大戦の悲劇を繰り返さないために1945年10月に設立されました。

そして、この「世界人権宣言」は、エレノア・ルーズベルト、すなわち故フランクリン・ルーズベルト大統領の妻が、ハリー・トルーマン大統領の要請で国連に出席し、人権委員会の委員長となり、18か国のメンバーと一緒に起草したものです。

女性委員の意見で、「すべての人間」を「all men」ではなく「all human beings」とするなどの配慮がなされています。

ここまでは比較的知られていることです。

けれども、当時からすると「後世の人」「未来の人」である私は、それ以外のさまざまな事実も知ることになり、がっかりする部分が見えてくるのです。

そして、そのがっかりは、今も、当時の「嘘」をそのまま信じている人が少なくないことへのがっかりでもあります。「嘘も百回言えば真実となる」という、ゲッベルス(ナチス・ドイツの宣伝大臣)の言葉が思い出されます。

国連は太平洋戦争勃発前に構想され、原爆投下前にスタートしていた

まず国連(国際連合)ですが、その構想は1941年8月に、イギリスの首相、ウィンストン・チャーチルとアメリカの大統領、フランクリン・ルーズベルトとの会談で、第二次世界大戦後の世界の枠組みを考えるにあたって出てきています。

当時、国際連盟はありました。第一次世界大戦後の世界平和と国際協力の促進を目的として創設されたものですが、第二次世界大戦を防ぐことは出来ず、機能していませんでした。

さて、国連構想のタイミングは、太平洋戦争勃発(1941年12月)前であり、アメリカは参戦していません。

そして、国連の発足は1945年10月ですが、6月には国連憲章が成立しています。つまり、日本に原爆が落とされ、無条件降伏する(1945年8月)前なのです。

何を言いたいのかというと、国連は、戦後、第二次世界大戦の悲劇を繰り返さないために出来たといっても、悲劇のなかに原爆は入っていないということです。

トルーマンの「嘘」がいまだにまかり通っている

そもそもルーズベルトは、1942年10月から「マンハッタン計画」、つまり原爆を開発し日本に落とす計画を、チャーチルとともに進めた張本人でもあります。

ルーズベルトは、1945年4月に亡くなりましたが、副大統領から大統領になったトルーマンが引き継いでいます。

トルーマンは、日本がソ連に打電した和平の仲介の依頼をキャッチし、日本が降伏するつもりでいることを知っていましたが、逆にソ連の力を使わせないために原爆を投下することにしました。

トルーマンは、日本は(人ではなく)「獣(Beast )」であるとし、戦後も「原爆投下に関してはまったく心が痛まなかった」と一貫して言っています。

さらに、原爆投下は「戦争を早く終わらせ多くのアメリカ兵を救うため」「日本の犠牲も減らすため、日本人のためでもあった」と言い続けています。

これが、「嘘も百回言えば真実」となって、今も信じられていることです。

YouGovの2020年の「アメリカは広島と長崎に原爆を使用したのは正しかったか」という質問(アメリカの成人が対象)に、正しかった39%、間違っていた33%、わからない25%となっています。→ こちら(英文)

降伏するつもりの日本に原爆を落とす必要はなかったのに、獣だからと落としておきながら、正当化し続けたトルーマンに対して、盗人猛々しいという気持ちになります。

さらに、トルーマンの「嘘」が、いまだに信じられ、そしておそらくこれからも「真実」として伝わっていくだろうことも残念です。

平和のための原爆と言ったエレノア・ルーズベルト

そして、エレノア・ルーズベルトは、1953年に広島を訪問していますが、原爆は「侵略のためでなく、平和のためということを言っておきたい」「戦争を一刻も早く終結させて破壊を打ち切りたいという願いの結果がこうなったものと思う。もしアメリカ軍が上陸した場合、日本の戦闘員はじめ非戦闘員の多くが傷つけられ、日本人自身がより強く苦しむという結果になったのではないか」などと発言しています。

これに対して、広島市の主婦が、中国新聞に当時次のように投書しています。

「世界一の夫人と言われている人の談話だけに、私には了解できません。アメリカ人が『真珠湾を忘れるな』と言うように、私たちは『原爆を忘れるな』と声を大にして言わずにはおられないのです」

また、広島の牧師が、同新聞に「『原爆製造は平和のため』と極言されたのは実に意外に感じ、心から深い悲しみに襲われている。力と力の均衡が真の平和をもたらすでしょうか」と投書しています。

→ こちら

もっともだと思います。

広島で、原爆で身近な人が亡くなり、本人も心身に一生の傷を負った人たちを前に「平和のため」の原爆などと言う人に、「人権」について語ってほしくないとも思います。

もっとも、以上は、「後世の人」「未来の人」として、客観的な情報を入手できている私の視点ではあります。

戦争で、当事者、とくに戦勝国の人たちが、自らの国家の行ないを反省したり、謝罪したりすることは考えにくく、「世界人権宣言」が、結果的に、現在の各国の人権施策の元になっているので、良いのかもしれません。

戦争が起こると、確実に「人権」は侵害されます。それどころか、核戦争なら、人類が滅亡することも十分考えられます。「世界人権宣言」の精神が生かされ、戦争が起きず、人権が守られると良いと思います。

(写真は国連本部)