「暴走」に対して、憤りと無力さを感じるけれども

「人権デー」なのに

12月10日は「世界人権デー」で、今年は、世界人権宣言75周年ですが、西欧諸国の後ろ盾もありジェノサイド(大量虐殺)が正当化され、継続されているという、とんでもない事態になっています。

今は、インターネットとSNSの時代なので、さまざまなメディアの情報に加えて、現地にいるジャーナリストの写真や動画の投稿で、「大本営発表」のプロパガンダが、「実際はこうなんですよ」と、見破られたりしています。

そのため、「ジェノサイドが行なわれているのに、自分は何もできない」と、世界中の多くの人が無力感に苛まれています。そして、これまでずっとこの問題を放置してきたことに対しても、申し訳なさを感じていたりします。

攻撃は、民家はもちろん、病院や国連運営の避難所となっている学校も対象のため、遠く離れた日本の医療関係者なども心を痛めています。

現地の病院が次々と機能しなくなり、乳児も含めた死者が出ていることに対して、憤りと無力感を感じるとともに、自分が設備の整った環境で仕事をできていることへの申し訳なさを感じていたりもします。

ついこの間まで、コロナで病院は大変だったし、今もインフルエンザ、その他で大変なので、申し訳なさなど感じなくてもいいはずですが、現地の、平時なら助かる人たちがどんどん死んでいき、医療関係者自身も命を落としている状況に、同じ職業の仲間として、どうしても無力感や悔しさ、やるせなさを感じてしまっています。

一方で、企業でパワハラを行なったとされ、コンサルティングを受けることになった人が、「自分が部下に少し強く言ったぐらいで、暴力を振るったわけでもないのに、パワハラ、コンプライアンス違反、人権侵害と言われるのには納得がいかない。世界ではとんでもない人権侵害が容認されているのに」などとぼやいたりしています。

出来ることは?

いずれにしても、暴走してしまっている国家(政権)の行動を止めるのは、走り始めたジェットコースターを止めるのと同じように困難ではあります。

私たち、一市民に出来ることは、ジェノサイドを容認し後ろ盾となっている政権や政治家には、今後投票しないことでしょう。

組織は、リーダーの決断、行動によって、その明暗が左右されますが、それが国家であれば、国民全体の運命が左右されてしまうので、選挙はもちろん、当選後のモニタリングも大事だとつくづく思います。

そして、引き続き、「大本営発表」ではなく、現場の事実をキャッチすることと、7つの習慣が言うところの「原則」に則った行動をすることでしょう。

殺傷や住宅、施設の爆破など、普通の状態で民間人がやれば重罪となることは、やはり人としてやってはいけないことのはずです。国際法で裁くなりして、責任を負ってもらう必要があるでしょう。

一市民の我々は、いろいろな意味で民度を下げず、各人が出来ること、やるべきことをやるしかないのかもしれません。