私たちは、どちらの「普通」を選ぶべきか?

日本では平和が当たり前だが

日本は、79年間戦争を経験しておらず、多くの人々にとって「平和」が普通、当たりと考えられています。
戦争を経験した高齢者たちは、戦争に対して良い記憶をもっておらず、戦争は国民を不幸にする出来事だと認識している人が多数派です。

一方、イスラエルでは、「平和」という言葉は軽蔑語であると、ヘブライ大学国際関係学のアリー M. カコヴィッチ教授は言います。イスラエル国民の多くは、平和はあり得ないことだと思っているようです。

イスラエルは、建国以来、戦争を続けています。
1945年から1973年まで4回の中東戦争、その後は、PLOとの紛争、1982年、2006年のレバノン侵攻、ハマスとの紛争が続いています。

イスラエルの兵役と拒否者の声

イスラエルでは、18歳で徴兵が義務付けられており、男性は32カ月、女性は24カ月の兵役が課されています。兵役を拒否すれば、刑務所に入ることになります。

兵役を拒否し、85日間、軍事刑務所に入れられていた女性、ソフィア・オアさん(19歳)のインタビュー記事が「ハアレツ」(イスラエルの中道左派の新聞)に載っていました。

オアさんは「軍隊は、私が育ってきた基本的な価値観、すなわち対話による紛争解決、共感、連帯と平等を支持していないことに気づいた。それは本質的に非常に攻撃的で暴力的なシステムであり、私はそのようなシステムに参加することはできない」と言っています。

けれども、このような考えに対して「イスラエル国内では、非常に暴力的な反応が大多数」(オアさん)だったようです。

オアさんの記事のコメント欄は、賛否両論で「なぜ、こういう甘ったれた子供の言葉を取り上げるのか」とか、「戦わなければイスラエルがなくなる」「イスラエル人の死を防ぐにはハマスを殺すしかない」という意見も書かれています。

オアさんは、85日間の服役後、解放されましたが、別の兵役拒否者、タル・ミトニックさん(男性)は、解放されても、何度も軍の刑務所に収監されています。

任務継続を拒否する予備役兵の理由

イスラエルでは、非現実的な「平和」よりも、敵を倒すことが正義であり、国民の義務なのです。

そういう意味で、ガザ戦争に召集されたことを、最初は「正しくて重要なこと」だと思っていたのに、実際に行って、疑問を感じ、任務継続を拒否した予備役兵たちの記事も「ハアレツ」に載っていました。

予備役兵は、通常は一般社会で生活し、有事に動員される軍隊予備軍のことで、イスラエルでは、兵役終了後も、男女とも原則40歳まで、男性は任務によっては54歳ぐらいまで徴兵される「国民皆兵制度」をとっています。

人質を帰国させるために、ハマスを倒すために、戦地に赴いたはずの予備役兵は、実際には、避難している人たちがいる場所を、理由もなく爆撃し、歓声を上げていることに納得できなくなったと言います。

ある予備役兵は、建物爆破について「中に人がいなくても、テレビ、思い出、写真、衣類など、そこにあったものはすべてなくなっている」にも関わらず、無実の人々がいることが分かっている建物の爆破を行なうのは「自分が良心に反する行為の共犯者であることに気づいた」と言います。

日常、高校の教師だったり、救急医療士だったりする人たちが、ガザでは、罪のない人々を殺す命令を下されます。命令する人も、手を下す人も、一切責任は問われません。そのことに良心の呵責を感じ、任務継続を拒否し、「制裁を受けてもいい」と言う人は、少数派ですが、存在します。

一方で、イスラエル社会に「私たち=完全な善」「他者(他の民族)=完全な悪」という図式があり、ハマスもガザの子供たちも区別せず、「悪」に「復讐」すべきという危険な欲求があることを、イスラエルの精神衛生の専門家、メラヴ・ロス氏は、指摘しています。

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戦争は、建物を破壊し、人々を殺傷します。
平時なら、現住建造物等放火、殺人、傷害で、重罪です。自分や家族、友人が、被害者になるのも、加害者になるのも避けたい人がほとんどのはずです。

そんな日常の感覚や良心の呵責が否定され、重罪が「善」や「正義」となる戦争は、私は、狂気の沙汰だと感じます。理不尽な狂気が、世界の「普通」になるのは、避けたいというのが、私の気持ちです。