セルフマネジメントの本を書くにあたって(1)小学生のときにショックを受けた話

今回、セルフマネジメントの本を書くにあたっての自分のベース(もとになるもの)のようなことを、何回かに分けて書きたいと思います。

まず、「自分をサクサク動かすセルフマネジメント」の本の151ページにも書いている「自分に関することは、自分で決めて、行動するのが確実」という気持ちが、自分のベース(基本)にあります。

それに相対するのが、146ページに書いている「VUCA」、予測できない時代という部分です。

正確に言うと、今、いきなりそういう時代になったというよりも、歴史を振り返ると、世界のさまざまな地域において、安定している状態のときと、そうでないときがあり、後者は、前者に比べて予期せぬことが起き、予測しづらいということです。乱世とか過渡期と言われる時代です。

もっと言えば、比較的安定している時代でも、多かれ少なかれ、予測できないことは起こっていて、人は時代や環境からおおいに影響を受けたりするわけです。

「親ガチャ」だけでなく、ある意味、「時代ガチャ」「環境ガチャ」なわけですが、そういったなかで、せめて少しでも自分で何とかなる部分は何とかしたほうがいいという気持ちが、自分にあります。

すごく前段階の話

これは、たびたび言っていることですが、私は小学生のときの平和学習で、長崎と広島の原爆の事実を知り、なんともいえない不条理、理不尽さを感じました。

それまでどんなに努力を重ねていても、地域に貢献し日本の国のために犠牲を払っていても、原爆が投下されたことで、自分や家族が亡くなったり、一生苦しんだりすることになっている。

原爆だけでなく太平洋戦争の沖縄戦も、日本各地での空襲も、特攻隊を始めとする出兵も同様で、戦争というのはとんでもないものだと、平和な時代の気楽な小学生である自分たちは、かなり叩きのめされたわけです。

当時、ベトナム戦争も起きていました。
平和学習を受けていなければ、小学生の自分たちが、ピンと来るはずもなかったのですが、平和学習で写真やビデオを見、被爆者から直接話を聞いて、戦争の何たるかを薄々感じとっていたので、いまだに戦争が起き、人生が狂う人がたくさんいて、恐ろしいなと感じました。

戦争だけでなく、そういった不条理、理不尽は、小さなことも大きなことも、歴史上も今も、世界中のあらゆる地域で繰り返されている。そんななかで私たちは生きなければならないのだと小学生のときに知らされたわけです。

しかし、同時に、アポロ11号は月に着陸し、翌年の大阪万博に月の石が展示されました。

家族で行った万博では、明るい近未来が、映像と展示、実演で、次から次に提示され、それはそれでインパクトがありました。

10歳にもなっていない自分にとって、「平和学習」と「大阪万博」は、かなり影響力の大きい体験でした。

(写真は、大阪万博に行った際の記録。以前、実家で発見して撮影)

イスラエルからの手紙

その後、中学生のときに、いきなりイスラエルから、段ボール1箱分の手紙が届いて驚きました。

当時、海外文通が流行っていて、中高生が英語の勉強のために、アメリカの雑誌に「ペンパル募集」情報を載せてもらうことはポピュラーなことでした。私もアメリカの雑誌に載せてもらっていたのですが、知らないうちにその情報がイスラエルの雑誌にも転載されていたようです。

日本人の女の子は珍しかったからか、大量の手紙が届きました。

アメリカの雑誌に載せたのが、なぜイスラエルに? そもそもイスラエルってどこにあるの? どんな国? ということで調べ、イスラエルとパレスチナ、中東の歴史、アメリカとの関係を知ることになります。

インターネットもない時代の1中学生なのに、手紙にいろいろ書いてあるし、街の風景や本人、家族の写真も同封されていて、イスラエルが知らない国から、いきなりリアルな国になってしまったわけです。

ペンフレンドは、アメリカ、イスラエルのほかにもいたので、おかげで、一時期、世界のニュースが、ものすごくリアルな出来事として捉えられるようになりました。

話はその後も続くのですが、小中学生のときに、不条理、理不尽と、明るい未来、世界はつながっていて、影響を及ぼしあっていることなどをなんとなく意識することになったわけです。

そして、冒頭に書いた、せめて自分のコントロール下にあることは、状況をモニタリングして、自分で決めて、行動しないと、他者、時代や環境に任せると、とんでもないところに連れ去られてしまうと思ったわけです。

(写真は、中学生のときペンフレンドから送られてきたレターオープナー。延々と使用)

(続く)