セルフマネジメントの本を書くにあたって(2)誰かの期待と自分の思惑

小中学生のときには、親や祖父母の将来に対する期待が、嬉しい反面、悩ましい側面がありました。
父は税理士で、私も税理士になればよいと言い、母は栄養士で一緒に料理関係の仕事をすればよいと言い、祖父は医師で、叔父も医師と歯科医師で、私も医師になればよいなどと言っていました。

今思えば、それほど真面目に受けとらなくてもよかったのでしょうが、それぞれの人が違う期待をするので困るなあと感じていました。誰かの期待に応えると、誰かの期待には応えないことになるし、全部はできない。しかも、どの仕事もそこまでものすごくやってみたいというわけでもありませんでした。

しかし、父は日ごろから「自分のことは自分で決めて、自分でやりなさい」とも言っていたので、自分がやりたいことをやればいいという結論に至りました。

目論見通りにはならず

そして、自分は文を書くことや図画工作、写真、海外に興味があり、新聞や雑誌、旅行、国際的な仕事が面白そうだと思っていました。

そこで、まず東京に出て、さらにアメリカかどこかで働こう、そのため、東京の大学に進学して、大学生のときに、いろいろな出版社や国際関係の職場でアルバイトをして、自分に合うところに就職しようと目論んでいました。

今でも、この考え、大学生のときに、いろいろな職場で働いてみて、そこの企業文化、社風を知ろうというのは、なかなかよい考えだと思っています。

けれども、東京の大学には行けませんでした。東京に行かせるのが心配だったのでしょうが、反対され、受けることができなかったのです。
東京ではありませんが、国公立なら横浜国大を受けようとも思いました。長崎大学と同じぐらいの偏差値だったのですが、これは先生たちが「なぜ?」と、納得がいかない感じでした。

私は、当時、ローカルな大学よりも関東の偏差値が同じぐらいの大学を受けたほうが、自分の将来的にはよいだろうと思っていました。これは、後に東京で働くようになってから、確信しました。大学の偏差値と知名度、信頼度は一致しておらず、関東での知名度や信頼度の高い大学のほうが、ローカルな大学よりもよかったじゃないかと思ったりもしました。
けれども、当時、まわりの人たちに、その考えは理解してもらえませんでした。
かわりに、信頼できる知人のいる京都の大学を受けさせてもらうことになりましたが、残念ながら受からなかった。

結局、長崎大学の学生となりました。
それはそれで楽しい大学時代でしたが、「卒業したら、ぜったい東京に行く」と決意したのでした。
そして、ある意味、養われている立場は弱く、経済力というのは大事だなとも思ったのでした。

(続く)