映画「侍タイムスリッパー」を見て、人気の理由を自分なりに考えてみました
インディーズ作品で全国公開へ
火曜日に、映画「侍タイムスリッパー」を見ました。
「侍タイムスリッパー」は、幕末の会津藩の侍(高坂新左衛門)が、長州藩の侍を討とうと、刃を交えたとき、雷に打たれ、現代の時代劇撮影所にタイムスリップしてくるという話です。
土曜日に見た映画「最後の乗客」の運転手役、冨家ノリマサ氏が、「侍タイムスリッパー」にも出ているためか、両方一緒に見ている人が多いと、Xを見て感じました。
「最後の乗客」も「侍タイムスリッパー」もインディーズ映画で、いずれも全国の劇場で展開することになったものです。
自分なりに、人気の理由(両方の)を考えてみました。
- 作品の質が高い
- 出演者(俳優)が皆、役にピッタリあっている
- 制作者が伝えたいことが伝わってくる
- 関係者の熱気も伝わってくる
- 見た人が、人に伝えたくなる。「見に行ったほうがいい」と言いたくなる
人の優しさが感じられる
両方ともストーリーが面白く、見ていて「えっ、どういう展開になるんだろう?」と思います。
そして、人間ドラマがあります。
「最後の乗客」に関してはブログに書いたので、ここでは「侍タイムスリッパー」に関して書きます。
「侍タイムスリッパー」では、幕末からいきなり現代に放り投げられた侍が、じつは江戸幕府が滅んで140年も経っていたなどの衝撃の事実を突きつけられながらも、徐々に自分ができることをやっていこうと思うようになります。
「斬られ役」として、愚直に頑張り、それを周りの人が応援します。
周りの人にとっての「侍」は、頭を打って記憶喪失になっているっぽい、「時代劇バカの大部屋俳優」でしかありません。
侍の格好をして、刀を持ち、まげを結い、侍ぽい話し方をする、良くも悪くも侍になりきっている「侍バカ」ですが、身分証明書のようなものもなく、その正体は分かりません。
本人は江戸時代から来たなどとは言いませんし、仮に言っても信じられるはずもありません。
しかも、映画のなかで言っていたように、時代劇は減少の一途をたどり、斬られ役の仕事ではとても食べていけません。
それなのに、周りの人が優しい。自然に助けたり、頑張りを応援しています。
やがて、侍の頑張りに、周りの人も感化され、諦めかけていたことを、もう一度頑張ってみようと思うようにもなります。
映画のなかのセリフ「一生懸命頑張っていれば、どこかで誰かが見てくれている」に頷きたくなります。
予想できない展開
(ここからネタバレ)
そして、やはり展開が面白いです。
途中から「えっ!なにそれ!」と思います。
侍(高坂)は、時代劇出身の大スター(風見恭一郎)の、時代劇復帰作(映画)の相手役に抜擢されます。
分不相応だと断わるのですが、大スターから「ぜひ」と言われます。なぜなら、大スターは、雷に打たれて、こちらの世界に30年前に来ていた長州藩の侍だったからです。
そして、撮影が始まりますが、模造刀ではなく「真剣」を使って撮影するということになり、しかも、台本とは違う「死闘」となります(映画だと分かっていても息を飲みます)。
高坂は、戊辰戦争での会津藩の最後を知り、長州藩の侍を許すことはできなかったのです。
死闘の末、高坂に復讐の機会が訪れましたが、高坂はそれを手放しました。しかし、(映画のなかの)映画としては、素晴らしい作品に仕上がったのです。
この映画のラストシーンも面白い(これは書きません。笑)。
このラストシーンの続き(第2作)をぜひ見てみたいと思いました。
この映画からは、時代劇愛が伝わってきますが、普遍的な魅力も感じます。その魅力は、世知辛い世の中にあって、他人を思いやる気持ち、希望を失わない心などかもしれません。
いずれにしても、見た人が他の人に「見に行ったほうがいい」と言いたくなる映画であり、それが波紋を呼んでいると思います。