その怒りは、本当にあなたのもの? ―― AI時代に考えたい感情の行方

煽るようなSNSの表現

SNSを見ていて、思わずイラッとした経験はないでしょうか。
強い言葉の見出し。断定的な表現。非難に賛同するコメントの数々。
気がつけば、自分も同じように腹を立てている。
しかし、あとで元の情報を確認すると、じつは怒る話ではなかったということも。

このとき起きているのは、感情が先に動き、思考が停止するという現象です。
怒りそのものが悪いわけではありません。
ただ、怒りはとても反応が早く、強い怒りは、考える余裕を奪ってしまうことがあります。

しかも最近は、「人の感情を動かす」ことを前提につくられた情報が増えています。
YouTubeなどのタイトルも、下記のようなインパクトの強いものが少なくありません。
「事態が急変しました」
「衝撃の事実が判明しました」
「大変なことが起きています」
「※消される前に今すぐ見てください」
「あまりの惨状にプロも絶句」
「変わり果てた姿で発見」
「この後、消息不明に」

「緊急速報!」「衝撃告白」「本当の理由」「問題の真実」「完全終了」「ブチギレ」「まさかの事態に」「異常事態」「地獄絵」「非難殺到」「削除覚悟」

怒りは、良くも悪くも人を動かす大きな力となる

AIの時代になり、情報は「感情を揺さぶる」ことで広がるようになりました。
なかでも、怒りや不安は、拡散しやすく、反応を集めやすい感情です。

そのため、

  • 話は単純化され
  • 敵と味方、善と悪がはっきり分けられ
  • 考える前に、感じさせる

構造がつくられやすくなっています。

この、感情が揺さぶられることで、考えることが後回しになるのは、リアルの世界でもよく起きます。

怒り、恐怖、不安などの感情を煽って、人々の行動や意思決定をコントロールすることは、古代から現代まで、政治、宗教、社会運動、ビジネスなどに使われてきました。

そして、今、AI時代となり、AIは感情を持ちませんが、人の感情を動かすのはとても得意です。
AIは、私たちの反応を読み取ります。どんな言葉に反応するのか、どんな表現が受けるのか、どんな刺激に怒りを覚えるのか。それらを読み取る精度、対応の的確さは今後、より高くなるでしょう。

そう考えると、感情は「人の内側のもの」であると同時に、外から扱われやすい資源とも言えます。

とくに、怒りは、人を動かす大きな力となります。
怒っているとき、人は確信に満ちています。
「自分は正しい」「相手が間違っている」と信じています。
その感覚は、とても気持ちがよい。
さらに、賛同者が集まれば、確信が深まります。

しかし、その怒りを生み出している情報は、部分的に切り取られ、元の意味とは変わっていたり、白か黒かという単純なものではなかったりするかもしれません。

感情を預けすぎないことが大事

そこで、私たちに必要なのは、感情を預けすぎない姿勢なのかもしれません。
すぐに反応しない。
煽られない。
考える余白を残すことです。

イラっとしても、一度立ち止まり、
「この感情は、どこから来ているのか?」
「今、何に反応しているのか?」
「それは、事実なのか?」
と、考えてみることです。

それだけで、感情は私たちを支配するものから、選び直せるものに変わります。
それは、自分の感情を、自分の手に取り戻す、大切な選択だと思います。

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私の最近のブログは、国際社会や職場などの「社会」における「感情」について考える内容になっています。
私たちは今、「社会」のあらゆる場面で、「感情」がぶつかり合う時代を生きています。

感情は、人を動かす大きな力です。
同時に、使われやすく、奪われやすい力でもあります。
そして、感情をもつ存在である「人」が「社会」をつくっています。

AIがますます身近になるなかで、感情はどこへ向かうのか。
そして、私たち一人ひとりは、感情によって何を守ろうとしているのか。何を得ようとしているのか。あるいは、感情によって何が生まれるのか。破壊につながってしまうのか。

来年は、この「感情」「社会」のテーマを、さらに追いかけていきたいと思っています。