余裕のある社会のほうがいい

ある有名人が、生活保護者やホームレスに関する発言で炎上し、謝罪した件に関連して、そもそも思うことを書きます。

今の時代は、以前にも増して「人権」ということが言われています。
「人権」とは何か?

法務省のWebサイトには、「すべての人々が生命と自由を確保し、それぞれの幸福を追求する権利」「人間が人間らしく生きる権利で、生まれながらに持つ権利」と書かれています。

そして、このサイトで「主な人権課題」として挙げられているのが、「女性」「子ども」「高齢者」「障害のある人」「同和問題」「アイヌの人々」「外国人」「HIV感染者・ハンセン病患者等」「刑を終えて出所した人」「犯罪被害者等」「インターネットによる人権侵害」「ホームレス」「性的指向」「性同一性障害者」「北朝鮮当局によって拉致された被害者等」「人身取引(トラフィッキング)」。
偏見と差別をなくすことが必要で、正しい理解と協力が必要だと書いてあります。

この「主な人権課題」にも挙がっている「ホームレス」に対する有名人の発言は、炎上しても当然でしょう。

目に見えない偏見・差別?

「主な人権課題」に挙がっているのは、属性であることが多く、分かりやすいです。たとえば、「女性」や「子ども」は、見ただけでその属性が分かります。
けれども、別の分かりにくい切り口で、偏見を持ち、差別していることがあります。

これに関しては、一緒にツナグバサンカクを運営している金子さんが、「いっけん分かりにくいけれども根は同じ」とよく言っていることでもあります。

それは、社会にとって、あるいは組織にとって、家族にとって、誰かにとって「役に立たない」「結果を出せない」「頑張らない」人は、存在価値がないという考え方です。
これは、炎上した有名人の発言にも通じるところがあります。

逆に言うと、「役に立つ」「結果を出せる」「頑張る」人が存在価値のある人で、それを目指すべき、もっと言うと、そうしない(と見なされる)人はいなくてもいいという発想です。

この考え方は、組織の上の人たち、仕事のできる人たち、ビジネスがうまくいっている人たち、優秀だと言われている指導者などが陥りやすい傾向があり、パワハラにもつながったりします。

そういう人たちは、「結果を出せない努力は努力ではない」「頑張ってやれないことはない。皆、まだまだ頑張りが足りない」などと言いがちです。けれども、決してそうではないケースは多々あります。だいたいそう言っている人が上司の場合、「部下指導の結果を出せないあなたの存在価値は?」とブーメランが戻って来ることにもなります。

人権は「すべての人々」にあるのです。
存在そのもの、生きていることに価値がある、意味があるのですが、知らず知らずのうちに、何かの条件をクリアしないと価値がない、意味がないという発想になりがちです。

この「条件」に関しては、拙著「仕事もプライベートもうまくいく! 女性のためのアンガーマネジメント」の第2章で「条件つきの愛」としてふれています。
その時々の社会の、所属している組織、身近な人の漠然とした気分、思い込みだったりします。

上には上がいる

私は、皆がガシガシ働かなければ成り立っていかない社会ではなく、いろいろな人がいて、いろいろな生き方が許容される、余裕のある社会のほうがいいと思います。

会社であれば、時短勤務やアルバイトはもちろん、戦力になるまでに時間がかかりそうな新入社員や、戦力にはならなさそうな窓際っぽい人もいて、それでも、皆が食べていけるのが、余裕のある会社だと思います。

遊び(余裕)のある社会、余裕のある会社のほうが、きっと生きやすいでしょう。

税金を多く支払っている人たちは、けち臭いことは言わずに、余裕のある豊かな社会づくりに貢献できているのを光栄に思えばよいと思います。

上には上がいるので、もっと税金を支払っている人からすると、「それが多い?」と言われるでしょうし、「私にとって、あなたは何の役にも立っていないから、存在価値はないんだけど」と、ブーメランが戻って来るでしょう。

そもそも、近くの神社の、樹齢の長い木からすると「150年後に今生きてるあんたたち人間は誰もいないじゃろ。偉そうにするでない」ということでもあります。