スポーツと暴力~なぜ人は怒り、暴力を振るうのか?
昨年、大相撲の元横綱日馬富士関が平幕の貴ノ岩関に暴力を振るった事件に加えて、今月は、競泳の小関也朱篤選手が後輩の天井翼選手に暴力を振るった事件が報道されています。
スポーツにおける暴力事件は、プロスポーツでも、学校の運動部でも、時々問題になっていますが、なぜ人は怒り、そして、暴力を振るうのかは、アンガーマネジメントに関することでもあるので、「スポーツと暴力」について書いてみたいと思います。
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まず、スポーツの世界、とくにプロスポーツの世界は、厳しい勝ち負けの世界です。
プロスポーツ選手には、身体能力が高く、継続的に努力を重ね、結果を出してきた人しかなれません。選ばれた人たちの世界です。
そこで勝つために、自分を律し、チームは一丸となって、練習を積み重ねます。
そういった厳しい世界で、時として、封建的な上下関係が承認されることがあります。
すなわち、指導者や先輩など「上」の人間が、「下」の人間の自由や権利を認めず、力ずくで押さえようとし、下がたてつく場合は制裁を下すという考え方、行動です。
場合によっては「暴力、体罰も仕方ない」ということにもなりかねません。
ここでの「たてつく」は、そう感じているのは、あくまでも上の人で、下の人に自分が「たてついた」という意識はなかったりします。
上の人からすると、下の人がたてついて、自分を怒らせたから、制裁を下したというわけですが、そもそもなぜ上の人が怒ったのか?
アンガーマネジメントでは、人が怒るのは、その人が信じている「こうあるべき」という、その人の常識や、「こうあってほしい」という期待に相手が応えなかったためと考えます。
怒っている人は、「自分が正しく、相手が間違っている」「常識を無視した(期待に応えない)相手が悪い」「相手が自分を怒らせた」と感じています。
上の人が怒ったのは、上の人の常識や期待に、下の人が応えなかったと感じたためです。
けれども、常識は人によって違いますし、期待を相手が理解していなかったかもしれません。
記事によれば、貴ノ岩関は「無礼なことをしたとは考えてない」と言い、天井翼選手も「遅刻をした認識はない」と言っています。
封建的な上下関係の場合、しかし、上を怒らせた下が悪く、上に下が「謝罪しろ」ということになります。
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怒りが暴力につながるのは、自分の気持ちや要望を相手に言葉で上手に伝えられず、手っ取り早く相手を支配したいからです。
暴力を振るった人は、「何度言っても相手が言うことを聞かないから」「痛い目に遭わなければわからないから」と言うことが少なくありません。
言うことを聞かせる、わからせるために、暴力で痛みと恐怖を感じさせ、「お前が悪い。謝罪しろ」と、相手に謝らせます。
暴力を振るわれた被害者のほうが謝るのは、「怒らせてしまった」という罪悪感や、相手の威圧感によります。下の人は、恐怖から、その後も上の人の顔色を伺うようにもなります。
下の人が「私が悪かったです」と謝ることにより、暴力を振るった上の人は、「やはり自分が正しく、相手が間違っていた」「自分が上、強者だ」と感じて満足し、「これからも下がたてつく場合は制裁を下そう」と思います。
暴力を振るった上の人が「相手が悪いのだから、殴られて当然」と感じたとしても、暴力は犯罪です。相手が怪我をしなかった場合、暴行罪、怪我をした場合は傷害罪となります。
今回の事件のように、被害者が泣き寝入りしなければ、明るみに出ますし、暴力による支配は、相手との関係が逆転して仕返しされたりもします。
アメリカの若者向けスポーツコーチ法では、PCA(ポジティブ・コーチング・アライアンス)メソッド等も出てきている現在、現代にフィットする、選手の力を引き出す、効果の高い方法が取り入れられ、スポーツから、暴力や体罰が一掃されるといいなと思います。