映画「台湾人生」
6月25日に、映画「台湾人生」のプレイベントに行き、27日、映画初日に観に行きました。
映画は、同日から東京・東中野の劇場で公開され、その後、横浜、大阪、名古屋、札幌、函館、沖縄で公開されます。
プレイベントに行くことになったのは、先日、私が銀行の経営相談会で相談員をしたときに、相談にみえられた経営者の方にお誘いいただいたというご縁からです。
そして、プレイベントでダイジェスト版を観、監督のお話を聞いて、本編を観に行くことにしました。
<イベントデータ>
タイトル:第28回楽生曾シネマDEりんりん 映画「台湾人生」プレイベント
ゲスト:酒井充子氏(「台湾人生」監督)
進行:二井康雄氏(映画ジャーナリスト)
日時:2009年6月25日 (木) 19:00~22:00
場所:西新橋・交流サロン「集」
URL:楽生曾
<映画データ>
タイトル:台湾人生
上映時間:81分
製作国:日本
配給・宣伝:太秦
監督:酒井充子
プロデューサー・録音:田辺信道/撮影:松根広隆/編集:糟谷富美夫/音楽:廣木光一
「台湾人生」は、チラシに「かつて日本人だった人たちを訪ねて」とありますが、「台湾が日本統治下にあった時代に青春期を送った5人の台湾人のいまを追う」ドキュメンタリー映画です。
1895~1945年の51年間、日本の統治下にあった台湾では、日本語による教育が行なわれ、台湾の人たちは、日本人として生きてきました。第2次世界大戦時には、志願兵制度、やがて、徴兵制度も施行されています。この映画に出てくる5人は、1925~28年生まれで、撮影時(2002~08年)は、70~80代です。
この人たちが20~23歳のとき、日本は敗戦を迎え、台湾は、中国から来た蒋介石に統治されます。そして、1947年の二・二八事件以降、多くの台湾人が厳しい弾圧を受けることになります。この映画は、苦難の歴史を生きてきた人たちのうち、ほんの5人の、またそれぞれの人生のごく一部を伝えるだけで、それらは「歴史の氷山の一角」のそのまた「カケラ」を映したものに過ぎないのかもしれません。
しかし、いまや、最初からそんな歴史の「カケラ」さえ知らない人も多い日本で、いろいろなことを考えるきっかけになるのではないかと感じました。
◆ ◆ ◆
プレイベントで、20分間のダイジェスト映像を見て、懐かしいなあと感じました。
私は、学生のとき、1983年に、台湾を、北の基隆から南の高雄まで南下し、また、基隆まで北上するという旅をしました。その後、台湾には行っていないのですが、当時とあまり風景が変わっていないように思いました。
私が基隆港に着いたとき、雨が降っていて、ここは雨が多いので「雨港」と呼ばれていると言っていましたが、映画でも雨が降っていました。また、街も郊外も村も、当時と変わらない風景に見えました。
私は、台湾に行くのに、石垣島から基隆行きのフェリーに乗ったのですが、フェリーで知り合った日本語を話す台湾人のおばあさんの家に泊まり、さらに、その親戚、知り合いの家に泊まりました。
3食ご馳走になり、洋服も洗濯してもらい、家の人の服を借り、観光に連れて行ってもらい、次の先に連れて行ってもらうという具合でした。
酒井監督が、この映画を作ることになったきっかけは、台湾に行ったとき、日本語を話すおじいさんに声をかけられたことといいます。話の途中、バスが着て、バスに乗った後、「どうしてもっとゆっくり話を聞かなかったのか」と後悔したということでした。
私の場合、フェリーでゆっくり話を聞き、また、台湾に着いてからも、「日本語世代」とは日本語で、家族とは英語でたくさん話ができたため、次々にお世話になる結果となりました。
◆ ◆ ◆
私は、長崎で生まれ育ったので、小学生のときから、被爆地の平和教育として、被爆者の話を聞き、写真や記録映画、原爆資料室の展示品を見、本も読んでいるので、第二次世界大戦のこと、台湾がかつて日本であり、日本語で教育を行なっていたことは知っていました。
東京に来て驚いたのは、私と同世代はもとより、ひと回りと少し上の団塊の世代でも、私たち、被爆地の子供が教わったことを教わっていず、第二次世界大戦や原爆に関する知識はそれほど多くないということでした。
もっとも「もはや戦後ではない」といわれた1956年以降、高度成長期(1955~73年)に、わざわざ過去を振り返る教育を行なうという雰囲気ではなかったのかもしれませんが。
そして、いまは、第二次世界大戦といえば、単なる過去の歴史であり、「いまだに過去をほじくり返す人や国があり、何だかごちゃごちゃ言い争っていてうっとおしい」という印象をもっている人も少なくないと思います。
人は多かれ少なかれ、自分が生きている時代・環境に翻弄される、考え方や生き方に影響を受けると思いますが、とくに政治や経済のリーダーは、歴史や過去から学ぶべきですし、人々も勉強して、自らを守るほうがいいと思います。
人々の人生に否応なく関わってくる戦争など、国家的な動きを問う意味でも、「台湾人生」で、体験者本人が出てきて話をし、映像で伝えることには大きな意味があると思います。
欲をいえば、語られていることの内容を補足する説明をもう少し入れたほうがいいかもしれない、たとえば蕭錦文さんが語っていることの意味がうまく伝わったんだろうか、と心配になりました。また、先にダイジェスト版を見たため、本編の構成が散漫になっているような気もしました。
◆ ◆ ◆
さて、私たちが過去を振り返るとき、気をつけたいことに関して、映画のパンフレットに、台湾協会理事長の齋藤毅さんの次のような言葉があります。
(過去の事実、普通の出来事や日常生活に対して)「現代の感覚で断罪するようなことがなされます。数十年前の事は数十年前の歴史感覚と共に見なければ正しく理解することは出来ない筈なのに、残念に思うことがあります」
同感です。これは、過去を振り返るときに限らず、自分とは違う立場、文化や価値観の人・ものに関しても同じだと思います。できるかぎり、当事者の感覚でとらえる必要があると思います。
そういう意味で、この映画は、監督が最初から伝えたい何らかの強い意思、結論があり、そのための構成になっているわけではない、押し付けがましくないところがいいのかもしれないと感じました。