国をあてにせず、自分で手を打ったほうがいい

東日本大震災から2カ月が経ちました。多くの地域で仮設住宅への入居が始まりましたが、14日時点でまだ11万6591人が避難所生活を送っています。国土交通省によれば、仮設住宅の必要戸数は6万8305戸で、そのうち完成しているのは1万571戸ということです(5月13日現在/国土交通省資料)。

もっとも、全国で80万戸を超える空き家・空き部屋があり、情報はすべてネットで公開されているので、仮設住宅を建てるより、これを利用したほうがいいという意見もあります(記事「仮設住宅設置という官主導の復興はやめにしよう」)。記事にあるように「より早急ですみやかな復興のために」は、国が家賃を出して、既にある家・部屋に住むほうが合理的だと思いますが、その場所が”地元”でないと、利用は難しいでしょう。仮設住宅も「なるべくこれまでの家の近くに住みたい」という人が多いようです。
理由は、家族がまだ行方不明なので離れたくない。職場や学校から近いほうがいい。地元の情報が入らないと困る。知り合いのいる住み慣れた場所がいい。わからないところに行くのは不安だ…ということです。

故に、国内外から一時避難の受け入れの申し出がたくさんあるのも、実際どれくらいの人が利用したか疑問です。
現地までの交通費、概ね3カ月間の生活費を提供するところもありますし、避難所よりも快適な環境で過ごせるでしょうが、その土地に、家族や親せき、知人がいるのならともかく、そうでなければ「一時」でも地元を離れたくないという人が多いでしょう。

ハワイからも申し出があり、マウイ郡の副郡長がわざわざ福島まで足を運んでいます。が、その記事には「避難者からも歓迎する声が上がったが、津波で夫を亡くした」女性は「『滞在中は幸せでも、地元情報が入らず帰った時のことを考えると怖い』と話した」とあります。

平常時なら、夏休みにでも1週間ほど招待してくれれば喜んで行くけれど、「せっかくだけど、今はそんな気持ちにはなれない」という人が多いのではないでしょうか。

震災によって奪われてしまった「日常生活」や「心のよりどころ」を、少しでも取り戻さないと、震災前のような気持ち・感覚も戻ってこないでしょう。
そして、その「日常生活」や「心のよりどころ」は、これまで住み慣れた場所にあり、そこから離れることが新たなストレスになる人が多いのではないでしょうか。

そういう意味では、原発事故のために、突然、家を離れなければならなくなった福島の原発近隣の人たちは、いつ戻れるのか、また元のような生活ができるかどうかわからない、宙ぶらりんのままの不安な日々を強いられてしまっています。
津波によって、あらゆるものを持っていかれた人たちとは別の苦悩がもたらされているのです。

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さらに、これまで一般人の年間被ばく許容量は1ミリシーベルトであり、チェルノブイリの事故でも5ミリシーベルトを超えた地域は除染し、移住させたのが、福島の小中学校・幼稚園・保育園では20ミリシーベルトを許容量にするという国の措置で、不安におとしいれられている人も多いでしょう。

これに関しては、福島県内をはじめとするさまざまな団体から、国や県、市町村、教育委員会などに、学童疎開などの進言書が出されていますが、相変わらず、国は20ミリシーベルトを許容していますし、被曝量を減らすための積極的な対策もとられていません。

なぜ国がそういう態度なのか、この問題は、福島県放射線健康リスク管理アドバイザーである山下俊一教授の発言に垣間見えると思います。

5月10日放送の「とくダネ!」(フジテレビ系列)で、「20ミリシーベルトは過渡的なレベル」であり「グレーゾーン」という山下教授に、インタビュアーが「福島の人々はその数値(20ミリシーベルト)を耐えろという意味ですか?」と聞いたところ、「もし耐えなければ逃げなくてはならない」「避難どこにさせますか、あなたは?」と答えています。

すなわち、国は、たくさんの人を避難させる、しかも、国の補償で避難させるのは困難だから、現状に沿った20ミリシーベルトに基準を引き上げているということだと思います。

現状では、国がすぐに積極的な対策を行なうとも思えませんし、補償をする様子も見えません。もし、そういう動きになるとしても、それまでにも日々放射能は蓄積されていきます。
健康上のリスクを考えれば、放射線量の高い地域の人、せめて妊婦、乳幼児のいる人は、自費で避難したほうがいいと思います。もちろん「生活」があるから難しいでしょうが、残念ながら国はあてにならないため、自分で身を守るしかないでしょう。

山下教授は、5月3日の二本松市の講演で、次のように言っています。
「(長崎でも広島でも)他にチョイスがない、逃げられない人たちはそこで自分で自分の道を切り開いていった」
「皆さん、現実、ここに住んでいる。ここに住み続けなければなりません」

長崎、広島の場合は、「逃げられなかった」のではなく、健康被害が起きることなど知らなかったので、住民は逃げる必要性も、不安も感じなかっただけですが、福島の場合、不安を感じている人は多い。けれども、実際問題として、今の「生活」があり、簡単に離れられない。

逆にいえば、ここに政府はつけこんでいる。多くの人が簡単に離れられる状況ではない、また、ただちに健康被害が出ないのをいいことに、積極的に手を打とうとしていない様子です。

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この「ただちに危険」な状態ではなく、「生活」があり、また、精神的にも「よりどころ」である、住み慣れた場所から離れたくない、という多くの人たちの思いが、今回の放射能の問題のみならず、「津波」の被害が繰り返されてきた理由になっているのかもしれないと感じます。

今回の津波は「未曾有」の大災害であると思っていましたが、歴史的には繰り返されてきたことであり、そういう意味では「想定内」だったようです。

本「三陸海岸大津波」(吉村昭著/文春文庫)によると、明治29年(1896年)にも、その40年前の安政3年(1856年)にも、今回の津波被害と同じ地域で被害が起きています。
さらにさかのぼると、1835年、1781-1789年、1751年、1716-1736年、1696年、1689年、1687年、1677年、1676年、1651年、1616年、1611年、1585年に津波被害が起きています。
明治29年(1896年)以降には、その37年後の昭和8年(1933年)に、そして、昭和35年(1960年)にもチリ地震の影響で津波が起きています。

明治29年の津波の死者は2万6360名、流失家屋は9879戸、昭和8年の津波の死者は2995名、流失家屋は4885戸、チリ地震の津波の死者は105名、流失家屋は1474名となっています。

本には、著者が、岩手県で津波の講演をしたとき、奇妙な思いにとらわれたと書いてあります。
それは「耳をかたむけている方々のほとんどが、この沿岸を襲った津波について体験していないことに気づいたのである。『明治29年の6月15日夜の津波では、この羅賀に五十メートルの高さの津波が押し寄せたのです』 私が言うと、人々の顔に驚きの色が濃くうかび、おびえた眼を海にむける人もいた」ということです。

つまり、繰り返されてきた津波、さまざまな記録にも残されている津波の恐ろしさは、現地の人にも決して正確には伝わっていなかったのです。

津波の後も、人々は、また津波が来るであろう同じ場所に住み続けています。
明治、昭和の津波の後、高所に移転した人たちも、逆戻りする傾向があったり、初めから移転に応じない者も多かったとあります。「稀にしかやってこない津波のために日常生活を犠牲にはできないと考える者が多かったのだ」というわけです。

被災地では、避難演習が行なわれたり、防潮堤が設置されたりしていますが、著者は「しかし、自然は、人間の想像をはるかに越えた姿をみせる」と書いています。
著者は、2006年に亡くなっていますが、著者の講演を聞いて、かつて50メートルの津波が押し寄せたことを知った人たちは、その後、何らかの手を打てたのかどうか。

津波の被害にあった人で、自ら「日常生活を犠牲にはできない」と、危険な場所に住むことを選んだ人はともかく、その子孫が、今自分が住んでいるところはこれまで何度も津波が来て、家や人が流された場所であり、また津波が来て、自分や家族、自分の家も流されてしまう恐れがあることを理解しておらず、今回のように被害に遭うのはなんとも悲しいことです。

本来なら行政が、住民の利便性が失われず、かつ、安全なように、町を作り直すべきですが、いまの政府には、これも難しいのかもしれません。

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今回の大震災で思ったのは、国や企業はもちろん、個々人も「想定」の範囲を広げる必要があるということと、「日常生活」はもちろん大切ですが、同時に「先のリスクヘッジ」も考えておく必要があるということです。

三陸海岸に、いつかまた津波は来るでしょうし、三陸海岸以外の、歴史に残っている場所にも津波は来るでしょう。地震も、危険性が高いと言われているところには、いつか来るでしょう。その際、原発も事故を起こすかもしれません。
そういった、あるいはそれ以外のいろいろなリスクに関して、歴史上起こったような「最悪の事態」まで考えて、できる限りの手を打っておいたほうがいいと思います。

福島在住の人で、放射線量に関して「不安になるから知りたくない」という人もいます。
もちろん、山下教授が言うように(その土地を離れられないのなら)「不安をもって将来を悲観するよりも、今、安心して、安全だと思って活動する」という選択肢もあります。

けれども、「安全だ」と信じ続けても、今回の原発事故のようなことは起きますし、チェルノブイリのドキュメンタリー番組のように、数年後、あるいは10年、20年と経たあとで、健康被害が現われることもあり得ます。

だから、見たくないとフタをするより、冷静に事実(放射線量やチェルノブイリのドキュメンタリーなど)を見て、自分の打てる最良の手を打っておいたほうが賢明だと思います。後悔先に立たずであり、備えあれば憂いなしでしょう。

そして、これは、震災や放射能のようなリスクに対してだけでなく、個々人の将来に対しても言えると思います。
「先のことを考えると不安だから、何も考えないようにしている」という人がいますが、本当は、不安要素をすべて書き出して、とことん考えて、手を打っておいたほうがいい。
同時に、こうしたい、こうなりたいということに対しても、準備をし、道筋を描いておけば、当然の帰結として、それが実現しやすいと思うのです。

国はあてにならないし、あてにするにしても限界はある。不安な将来に対して「メシア(救世主)」を待っても現われないし、仮に現われても、やがて「独裁者」になる危険性が高い。何かをあてにするよりも、個々人が自分で手を打っておくしかない。自ら手を打つことが一番あてになる、と思うのです。