危機的状況の中、「希望」はまだ見出せていない?
東日本大震災発生から1カ月が経ちました。
ある日突然、日常生活が消滅してしまった、たくさんの人たち。
震災で、命を失った人たちが味わったであろう恐怖感と絶望感、苦しさ。また、生き残った人たちの過酷な現実を想うと切なくなります。
最初、津波の映像を見て「あり得ないこと」が起きていると思いました。が、後で、じつは、日本では過去に何度も津波の被害は起きていて、全国に被害を伝える石碑があることを知りました。また、被災した地域では、さまざまな防災対策を講じていたこともわかりました。
それにも関わらず、今回、甚大な被害が起きたのは、原発への対策も含め、これほど大規模な災害が起きることを、行政、地方自治体、電力会社も含めた、多くの人が、想定していなかった、ということでしょう。
対策にはお金と時間、手間がかかります。また、その対策を講じることで、利便性が悪くなるなど、デメリットが生じることもあります。故に、いつ起こるか、起こらないかもわからない「最悪の事態」を想定して対策を講じるのは「過剰」で「現実的ではない」と捉えられていたと思います。
これまでずっと「無事」だったし、原発や防災対策には、最先端の「技術」が使われている、という過信もあったのかもしれません。
しかし、今回、失われたものはあまりにも大きい。
多くの人にとって、慣れ親しんだ町の風景が、突如、地獄絵図と化してしまった。家族や親せき、友人、知人など、大切な人が失われ、家、学校、職場、町など、これまで皆が築き上げてきた多くのものが失われてしまった。
加えて、日本経済、世界経済にまで打撃が及んだ。
この「現実」が風化する前に、行政は、町の人たちと共に「最悪の事態」にも耐えられる町に作り直す必要があると思います。
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けれども、その前に、いまなお避難所で暮らしている人たちの「日常」をなるべく早く取り戻せるように、せめて、その手順がわかるよう、いったい何をいつまでにどのように進めていくのか、行政は計画を示してほしいと思います。
避難所のおばあさんの「死んでも地獄、生きていても地獄」という言葉が、印象に残りました。
老若男女、たくさんの人が被災しており、原発のため、故郷を離れざるを得なかった人もいます。
皆、多かれ少なかれ、大切なものを失い、深い傷を負っている。これからどうして生きていけばよいのか、明日が見えない。そういったなかで、どうにか必死で生きている。生きざるを得ない。
「頑張ってください」「元気を出してください」と言われなくても、頑張りたいし、元気を出したい。けれども、これ以上、どう頑張ればよいのか、どうやって元気を出せばよいのか、内心、苦しい思いの人も少なくないでしょう。
本当に「全てを失った」人たちには、東京で、富に心を奪われていた文化人たちが取り戻した「希望」は、まだ実感できていないに違いありません。