引っ越し 新宿→長崎

24年間住んだ東京・新宿区から、7月末に、長崎市に引っ越しました。

新宿区には、神楽坂に2年、早稲田に13年半、西新宿に8年半、住みました。

新宿は、とても好きな街です。
夜も働いている人がたくさんいる、というのと、街にいくつもの顔があり、いろいろな人がいるというのが、気に入っています。


会社員のとき、家に帰ってからも、徹夜で仕事をすることが多かったので、西新宿のビルの灯りが点いていたり、深夜営業・24時間営業の店があったり、街のいろいろなところで夜も働いている人たちがいるというのは、親近感が湧きました。

また、新宿は、いろいろな機能をもつ大きな街であり、本当に多種多様な人が集まっています。国籍、職業、経歴、収入、考え方、価値観などの違う、さまざまな人たちと接すると、人生いろいろだなあと感じます。

新宿は、「ハレ(非日常)」と「ケ(日常)」でいうと、「ハレ」の街なのでしょうが、ここに住むと、華やかな舞台とともに舞台裏も見えます。ちょうど、ドガの踊り子(エトワール)の絵のように。
街のいろいろな顏、表と裏、光と影を見ていると、いろいろなことを考えさせられます。

とても人間ぽく、ちっとも垢抜けているとは思えない街ですが、包容力があり、自由度が高いところが気に入っています。西新宿の高層ビルは巨木のようで、街は森のようで、安心するのでした。

そして、街は、止まることなく、ずっと動き続け、変わっていく。その速度が自分に合っていると思います。目まぐるしくもなく、ゆっくりでもない。
街のもつパワー、エネルギーレベルも自分に合っていると感じます。強すぎず、弱すぎず。

そんな新宿を離れ、長崎に引っ越しました。

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長崎は、生まれ故郷であり、学生時代を過ごした街ですが、住むのは26年ぶりです。

長崎でも、過ごしてきた場所、また、今回、引っ越した先は、いわゆる「街なか」なので便利です。が、長崎の、とくに街なかには、いたるところに、江戸時代、そして、もっと昔の痕跡があり、歴史上の出来事や人物が身近に感じられます。
近くの商店街も、17世紀から続く商店街で、ニコライ2世(ロシア最後の皇帝)が皇太子時代に大量に買い物をしたという記録があります。老舗の友人も少なくありません。
そういう場所では、「過去」や「世界」が、「現在(いま)」や「ここ」につながっているという感じがします。

長崎は、中国に加え、ヨーロッパの影響を受けている街ですが、長崎を歩いていると、ヨーロッパの源流であるギリシア、ローマの歴史までたどり着くものが少なくありません。

たとえば、長崎には石畳の道がありますが、これは、1571年に長崎港が開港された後、ポルトガル人によって整備されたのが始まりです。が、そもそも、ヨーロッパの石畳は、紀元前に、ローマ帝国により舗装されたのがルーツで、ポンペイの遺跡からも、石畳が見つかっています。

このように、「ああ、これはローマから来ているな」というものがいろいろあり、塩野七生さんの「ローマ人の物語」に出てくるような「歴史」が、「いま」「ここ」につながっていると感じられます。

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さらに、長崎で意識するのは、原爆であり、戦争と平和です。
8月9日は、長崎に原爆が投下された日で、長崎では、その時間にサイレンが鳴りますし、学校は登校日です。関連の催しもたくさん行なわれ、テレビでも関連の番組が放送されますが、長崎と広島以外では、原爆も太平洋戦争も、「いま」とは分断され、非常に遠い過去になっている気がします。
長崎では、原爆、そして、太平洋戦争を「過去」ではなく、「いま」も身体に背負って生きていかざるを得ない人がいることもあり、戦争と平和を意識する機会は少なくありません。

長崎は大きくない街ですが、この街をうろうろすると、私はどうしても「世界史」を意識します。そして、過去から未来へと続く「歴史」のなかの「いま」、「世界」の「ここ」の位置づけ、意味などを考えます。

「歴史」のなかで、人が生きられる「いま」は、いつも「刹那(きわめて短い時間)」ではありますが、「世に生を得るは事を成すにあり」という気がします(ちなみに、この「世に~」という言葉は、「龍馬がゆく」では坂本龍馬の言葉となっていますが、出典の「英将秘訣」は龍馬の語録ではないという説が有力です)。

高層ビルが巨木のような西新宿

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ポルトガルの帆船「サグレス号」が長崎港に寄港(8月3日~8日)。寄港は、1978年、83年、93年に続き、4度目。私は83年に見てから、27年ぶり

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