「Uber」を利用し、ニュービジネスについて思うこと
先日、ロサンゼルスに行ったときに、初めて、「Uber」を利用したが、なかなか快適だった。
「Uber」は、タクシーのようなサービスだが、ドライバーはプロではなく一般人。その人の自家用車を使う。日本では、いわゆる「白タク」となり、禁止されている。
利用者もドライバーもアプリを使って、サービスを利用する。
両者とも、事前に自分のデータを登録しておき、支払いは直接やり取りせず、アプリでのカード決済。
利用者は、アプリに、現在地(乗車地)と行き先を入力する。タイムリーな利用も、予約もでき、見積もり金額が出る。
ドライバーは、利用者が入力した情報を見て、仕事を選ぶ。
利用者は、車が近づくと、アプリでわかるし、乗車中、両者とも、現在地と目的地、道順をアプリの地図で確認できる。
利用者は、降りてから、ドライバーを評価する仕組み。
このサービスは、Uberのサイトによれば、パリでタクシーがなかなかつかまらなかったアメリカ人(トラビス・カラニック)とカナダ人(ギャレット・キャンプ)が、2009年に始めたもので、「世界中の都市」で利用され、「利用回数は10億回」という。
東京もUberが使える都市として入っているのだが、白タクは違法だから、タクシーの配車サービスにとどまっている。
—
いろいろなニュービジネスで驚くのは、よくそれをビジネスにしようと思ったこと。
タクシーがなかなかつかまらなかったら、文句を言って終わりというのが、多くの人だと思う。
タクシーは、アメリカでも、業界として確立されているし、問題があったとしても、業界を改善する方向での新規参入や、改善提案をビジネスにしようと思うのではないだろうか?
逆に言うと、既存のタクシー業界が、アプリを使った新サービスを考えればよいのにとも思う。
けれども、じつは、既にある業界に新しい仕組みを導入したり、改革するのは、けっこう難しくて、まったく新しいビジネスを別で立ち上げたほうが早いし、考えた人のイメージに近いものになったりもする。
だから、一見、もうそんなビジネス、サービス、昔からあるし、確立しているよ、というものでも、「でも、もっとこうならないのかなあ」という不満点に、まったく新しいビジネスの芽があったりする。