莫大な「おかげ」に感謝

昨年11月ごろから徐々にPCの調子が悪くなっていたのですが、ついにこの5月に、HDD(ハードディスクドライブ)が致命的になり、交換するまで、しばらくサイトを更新できませんでした。すみません。


思えば、昨年の2月から11月まで、私は過酷に働いていました。さらに、PCは、私が寝ているあいだも、働いていたりしました。

HDDが壊れると当然困りますし、これまで、外付けHDDなども壊れ、困りましたが、今回は過酷な仕事を支えてくれた後、徐々に壊れたため、感謝の気持ちが大きいです。

PCは、具合が悪くなっても、人ではないので痛くも何ともありませんし、持ち主の私が痛くなったりもしません。壊れたHDDは交換できます。人は、PCのように体のパーツを交換できないから大変です。私も少し大きな病気をしたことがありますが、健康は本当にありがたいと思います。

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PCが壊れているあいだも、いろいろなセミナーやイベントに行ったり、主催したり、新しい出来事がありました。

そのなかで、ある人が「プチ幸せ」という話をしていました。
たとえば、電車に乗り遅れたとき、次の電車が来るまで「ちょっとしたことができる」と思えば、「プチ幸せ」になれる。物事のとらえ方で「プチ幸せ」になれるという話でした。

突発的な出来事で、間に合うはずの電車に乗り遅れると、私は、「これはきっと意味がある」と思います。

以前、テレビで観た話ですが、アメリカの教会で、聖歌隊の合唱練習をするのに、15人全員が、それぞれ違う些細な理由で遅刻しました。けれども、集合予定時間から数分後にこの教会は爆発し、遅刻せずに集まっていたら大惨事になっていたという話です。実話で、ライフでも紹介されたようです。「神様のおかげ」だと言っていました。

しかし、私は思いました。
こんなわざわざ分からせるようなことは少なく、ほとんどの「神様のおかげ」はもっとスマートにクールに、誰もが気づかないところで行なわれているに違いない、と。
私たちは、何か大変なことが起きると、「ああ、1分でも違っていれば」と思ったりしますが、日常的に「1分違って助かっていること」は山のようにあるに違いありません。「誰かのおかげ」「何かのおかげ」はほとんど見えない、文字どおり「陰」の気づかれないところで、粛々と行なわれている。莫大な「おかげ」で「普通」が保たれていて、「おかげ」が、なくなったときに、その大切さに初めて気がつく。

今日も、PCのHDDは普通に動いている。あなたや私の心臓や脳も滞りなく動いている。あらゆる「普通」が保たれている。
だから、電車に乗り遅れたときぐらいは、改めて「おかげ」に感謝しようと思っています。

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「幸せ」に関して、私は現状で十分だと思っています。
仮に、自分が「10」幸せをもっているのなら、「3」は人にまわしたい。
これまで、大変な目にあったことが、結果的に修行になって、力がついて「タフ」になったので、自分は「7」で十分です。
自分に来る幸せは、人にどんどんまわして、世の中の「おかげ」が増えたほうがいいと思っています。

ところで、HDDを交換したため、PCが覚えていたさまざまなパスワードが消えるほか、大変なことになったのですが、いろいろな方のサイトを拝見し、設定し直せ、助かりました。ありがとうございます。本当に、皆さまの「おかげ」です。