森美術館「万華鏡の視覚」展覧会とセッション

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4月4日から7月5日まで、森美術館で「万華鏡の視覚」という展覧会をやっています。
4月4日の初日に、この展覧会と、セッション「現代アートを社会に開く―コレクターの視点から」に行きました。

この展覧会は、副題に「ティッセン・ボルネミッサ現代美術財団コレクションより」とあるように、この財団がコレクションしている現代アート作品の展示です。

パンフレットによれば、同財団は「優れた現代美術の所蔵で名高い」ところで、「本展は、ダイナミックなインスタレーションを中心にした国際的に活躍するアーティストの作品で構成されます」とのことです。
「インスタレーション」とは、取り付け、設置という意味ですが、現代アートでは、室内や屋外の空間にオブジェを配置して、その空間全体を作品として体験させる手法です。オブジェに、音楽やビデオ、パフォーマンスが加わったり、それらが主体だったりします。

パンフレットには、「本展出品のアーティストたちは、人間の感覚や認知のシステムに関して独創的な視点をもっています」「万華鏡が多様で魅惑的な視覚を映し出すように、決して一つではない視点があることに気づくとき、世界の見え方が変わってくることでしょう」とあります。

<展覧会データ>
タイトル:万華鏡の視覚 ティッセン・ボルネミッサ現代美術財団コレクションより
日時:2009年4月4日 (土)~7月5日(日)
場所:森美術館
サイト:http://www.mori.art.museum/contents/kaleidoscopic/index.html

現代アートは、よくわからない、とくにその価値判断がわからないといわれます。
市場的な価値は、アート市場も、ほかの市場と同じように、需要と供給のバランスで成り立っていると思います。
では、どんな作品が需要があるのか? まずは、作品として高い評価を得られること(芸術的価値)が必要で、そのなかから、コレクターにとって魅力的な作品、投資家にとって価値が高い、高くなると判断される作品が生まれるはずです。
作品としての評価は、権威ある美術館、美術評論家、ギャラリストなど、かなりクローズドな世界で決められており、さまざまな要素が絡んでいるようです。

一方で、多くのアーティストたちは、そういうことを考えてマーケティングしてから作品を制作しているわけではなく、自分が表現したい、伝えたい何かのために、その衝動に動かされて、自らの感性で、表現方法で、作品を作っているはずです。「評価」や「顧客」を意識して、「お客様目線」で作品を作る必要はまったくないし、むしろ、それで、表現者としての勢いが落ちたり、思いがぶれたりするのなら、本末転倒ではないかと、私は思います。
そもそも評価は、時代が変わると覆されたりするものですし。

          ◆ ◆ ◆

私は作品を見る場合、現代アートに限らず、人がどう判断しているか(有名なアーティストかどうか)とは全然関係なく、あくまでも自分の捉え方で見ています。

まずは、その作品の解説を一切見たり聞いたりせず、題名も見ないで、ただ伝わってくるものを受けとめます。
「自分の解釈」の段階です。
色や形、材質、大きさ、光や影、音、動きから伝わってくるものをただ捉えます。ウォーム・クール、重い・軽い、鋭い・丸い、キラキラしている・鈍く落ち着いている、大きい・小さい、速い・遅い、静的・動的などが統合されて出来ている、いわば個性を、伝わってくるまま、じっと見て、感じ取るだけ。
伝わってくるものは、平和、心地よさ、調和だったり、躍動、爆発、不安だったり、混乱、悲しみや憤りだったり。アーティストの意図するものと違っているかもしれませんが、自分が受けとめて、何かを感じたり、何も感じなかったり、その作品を通じて、別の何かを考えたりすることもあります。

次に、題名や解説を見て、何を伝えたいのかを知るようにします。
アート作品というのは、風景と違って、そこに「作者の意図」がありますし、その伝え方は、その人独自のやり方だったりするので、それを知るように、いわば、コミュニケーンをとろうとします。そして、「自分の解釈」を修正したりもします。

その後に、「第3者の評価」を確認して、その理由を考えたりします。「第3者の評価」には、どういう立場の誰が、ということや、時代や社会の潮流、ビジネスの潮流があるので、展覧会を離れてよく調べないとわからない部分もあり、半分は課題みたいなものになります。

現代アートが「よくわからない、とくにその価値がわからない」というとき、わからないのは「第3者の評価」だと思いますが、私にとっては、「作者の意図」「自分の解釈」と比べると、いわば、どうでもいいので、あまり悩むこともなく見ています。

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さて、セッションは、次のように行なわれました。

<セッションデータ>
タイトル:現代アートを社会に開く―コレクターの視点から
出演:フランチェスカ・フォン・ハプスブルク(ティッセン・ボルネミッサ現代美術財団理事長)
   ダニエラ・ジーマン(ティッセン・ボルネミッサ現代美術財団チーフ・キュレーター)
   南條史生(森美術館館長)
モデレーター:荒木夏実(森美術館キュレーター)
日時:2009年4月4日 (土) 14:00~15:30

ティッセン・ボルネミッサ現代美術財団(略称 T-B A21/拠点 ウィーン)は、フランチェスカ・フォン・ハプスブルク氏が2002年に創設した財団ですが、フランチェスカ氏は、美術品コレクターのティッセン・ボルネミッサ家の4代目にあたる方です。
ティッセン・ボルネミッサ家のコレクションは、個人としては、エリザベス女王のコレクションに次いで世界2位と言われ、マドリッドに、ティッセン・ボルネミッサ美術館を開いています。
ちなみに、フランチェスカ氏ではなく、フランチェスカ氏の夫が、ハプスブルク家の子孫で、カール・ハプスブルク・ロートリンゲン氏という方です。

T-B A21は、今回の展覧会にも出品されている、ジャネット・カーディフ氏の作品「触ること(To Touch)」のコレクションをきっかけに作られた財団で、世界の現代美術家の作品を集めるだけでなく、アートイベントでパビリオンをアーティストと一緒に作って、アーティストの活動の場を提供するなどしている珍しい財団だということです。

「触ること」は、真っ暗で小さな部屋の中に、木のテーブルが置かれ、そこにだけスポットライトが当たっている。テーブルを触ると、いろんな声が聞こえるという作品です。カーディフ氏が、実家に捨ててあったテーブルを見たとき、「テーブルと話ができたらいいのに」と思って作った作品だといいます。テーブルはかつてダイニングに置いてあったもので、家族や友人の私的な話をずっと聞いてきた存在というわけです。

この話を聞いて、私は「話せるテーブルはある」と思いました。世界中の人の公私にわたる話をずっと聞いてきて、しかも、話せるテーブル、それは「サーバー」だ、などと思いました。

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フランチェスカ氏は、現代アート、なかでも、インスタレーションやパビリオン、パフォーマンスなど、今日的なアートを支援しているわけですが、これまでの「形ある作品、静的な作品」を収集することとは異なり、「形で残らない作品」の支援は、「リスクもあるが、勢いを作り出してくれるもの、予測不可能なものが好き、それを見続けて動かしていくのが好き」と言います。

また、アーティストが作品を作るのを「できるだけ干渉せず、介入せず、後押しする。友人としてサポートする」、「信頼はアートの世界ではとくに大切」だとも語っています。そして、どういう作品になるかは、予測不可能であり、アーティストと一緒に肩を並べて偶発的に盛り上がっていくなかで、作品が決まっていくということです。

作品のなかには、チベットやビルマほか、政治、社会的背景をもったアート作品もあり、アートは、政治、社会の問題を、「媒体として訴えることができる」「世界を変えることができると確信している」と、フランチェスカ氏は言います。
この話に関連して、質疑応答で、会場から「日本のアーティストは、社会的な活動を行なったり、メッセージ性のある作品を制作することは少ないのでは?」という投げかけがあり、森美術館館長の南條氏が、「アーティストというより日本の問題。日本ではそういう政治、社会的な議論は少なく、アートにも反映されていない」と答えています。

また、フランチェスカ氏は、アートを普及する活動として、活動の柱は入館料無料(今回は入館料1500円)、カタログ8~9ユーロとして、金銭的なバリアを避けるようにしているとのことです。さらに、今回の展示は、遊び心のある、接近しやすいものが主体とのことでした。

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現代アートは、かなり独創的なので、接するこちらも「常識」で捉えず、「自由」に受けとめて、そこからの刺激をそのまま、あるいは発展させて、楽しむといいのではないかと思います。