セルフマネジメントの本を書くにあたって(3)時代の軽さに乗って東京へ

目論見が外れ、長崎で大学時代を送り、いよいよ卒業したら就職ということになるのですが、なにがなんでも東京に行こうと決心していました。理想的には、東京の新聞社、出版社あたりを受けようと思っていましたが、なかなかハードルが高そうでした。

ある通信社が、大学生を対象にした研修会を行ない、青田買いと噂されていたので、これに参加することにしました。作文でなかなかよい点数をもらい、担当者に声をかけてもらったりもしたのですが、この通信社は、記者としては女性を募集しないことになりました。もちろん、募集しても受かったかどうかは分かりませんが。

一方で、親などが親戚の政治家ルートに手を回し、地元のマスコミ数社に話をつけていました。おつかいに行くと、じつは面接というか確認で、コネで就職が決まりそうでした。

1980年代半ば、男女雇用機会均等法はギリギリまだ施行されておらず(施行は1986年)、大卒女子の就職は厳しい環境だったものの、世の中はバブル(1987~1991年頃)に向かい、「軽さ」が拡がってきていました。 1980年代は、ITの黎明期、雑誌文化、広告文化の隆盛期でもあり、東京に行けばなんとかなりそうだし、行かないとぜったい後悔すると思いました。

いきなりフリーランスで働く

東京の会社の採用試験を受けて、何社か受かったものの、なぜかフリーランスのライター&編集者をすることにし、受かったけれども行かない先の担当者が仕事を出してくれるという話になりました。

今ならあまり考えられない話ですが、雑誌の黄金時代でもあり、先方は約束を守り、さらに、関係先にも声をかけ、仕事を紹介してくれ、さまざまなアドバイスもしてくれるなど、なかなかラッキーなスタートでした。

フリーランスは結局半年ぐらいしかやらず、出版社に勤めることになったのですが、最初にフリーランスで働いたことでいろいろ学べました。

そのなかで大きかったのは「仕事の大変さと金額は比例しない」ということです。

これに関しては、以前、ブログを書きました。

同じような仕事でも、仕事の依頼先によりまったく報酬が異なるし、仕事が大変かどうかはこちらの得意不得意もあります。大げさに言うと、貨幣経済の仕組みが分かっていたほうがベターだなと思います。私は、経済学部の経営学科卒業なのですが、教科書に書いてあったことが、東京で、フリーでやっていくことで「あ~!これはこういう意味だったのか!」となんとなく分かった気になったりしました。

(続く)