セルフマネジメントの本を書くにあたって(4)とりあえずまとめ「時代ガチャ」「環境ガチャ」ではあるけれど
去年の11月に、ブログに「続く」と書いてから、「続き」を書いていないので(-_-;)、これまで何を書いたか、振り返ります。
小学生のときに、平和学習で原爆や戦争の話を聞き、理不尽な気持ちになる。一方で、アポロ11号、大阪万博で、人間の可能性や明るい未来をイメージ。海外のペンフレンドがきっかけで、世界はつながっていることを感じた。
ある意味「時代ガチャ」「環境ガチャ」(※1)ではあるが、せめて自分で何とかなる部分はしたほうがいいと思う。
東京に出て、アメリカかどこかで働こう、まず東京の大学に進学しようと思っていたものの、反対され、長崎大学に進学。
卒業したら、東京に行くことを決心。受かった会社に就職せず、その会社から、フリーランサーとして仕事を得、関係先を紹介してもらい働く。
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その後は、出版社に正社員として就職し、PR部門で、金融機関等のPR誌を作成したり、イベントを行なったりした後、できたばかりのベンチャー企業で、縁あって働くことになりました。
自伝のエッセンスを、5月にお絵かきムービー(川嵜昌子がマネジメントコンサルタントになった話 9分39秒)にまとめてもらったので、そちらを見ていただければと思います。
このベンチャー企業は、本当に「面白い会社」でした。今思えば、平均的な日本企業からすると、かなりアグレッシブ、挑戦的で「ぶっとんでいる」会社でした。
自分も含めてそこにいる人たちは、FFS理論で言うところの「拡散型」(攻めの因子)ばかりで、「保全型」(守りの因子)の人は少数派だったため、ハイスピードでいろいろなことを試し、改善しては、売上を上げていきました。
日本が「失われた10年」「失われた20年」と言われる時代に、店頭公開、東証一部上場し、まさに右肩上がりでした。
その会社は、ある不幸な出来事をきっかけにうまくいかなくなってしまいました。V字回復できなかった理由はいろいろあると思いますが、もともと「守り」が弱いのに、「攻め」が弱まったのが敗因だったかもしれません。
私は、個人的な理由(家庭の事情)で、その会社を離れることになりましたが、それがなかったら、ずっといたと思います。
家庭の事情でUターンしたわけですが、キャリア(雑誌編集長、局長、コンサルタント等)を活かせる職場が見つからず、「これまでのキャリアが0(ゼロ)になったかも!?」と打撃を受けました。
しかし、Uターンした案件をどうにかせねばならないし、それまで、管理職として頑張ってきて、挫けるわけにはいかないと、個人事業主としてサバイブすることにしました。
カルチャーショックを受けながらも、基本、マイナスの感情がそこまで続かないので、それなりに楽しくやってきています。
ここ数年のコロナで、オンラインワールドが拡がり、さまざまな機会が増えてもいます。そういったなか、いくつかの発見をし、これを試してみようということも出てきたので、しばらくは、それをやるはずです。
このところの世界のニュース、日本のニュースを見ても、本当に「時代ガチャ」「環境ガチャ」の部分はあるのですが、せめて自分でコントロールできる部分は、ベターな状態にしたほうがよいと思います。
※1:時代ガチャ、環境ガチャ……どんな時代、どんな環境で生きるか、自分でコントロールできない部分がある