ワーク・ライフ・バランスは嫌い?

程度の問題

一昨日のセルフマネジメントに関するブログに対して、次のようなご意見をいただいています。
「『寝食を忘れてワーッとやる』のはよいんじゃないの、中断して『また明日』としなくても」
「むしろ『ワーッと』の頻度を高めればよい」
「『二十マイル行進』で調子が悪くても実行するのはわかるんだけど、調子が良いときはセーブせず、やれるだけやればよいのでは」
そこで、それに関して書きます。

これは、結論から言うと、程度の問題なのです。

「ワーッとやる」のを、ワーク・エンゲイジメントが高い状態だと捉えれば悪くはありません。
ワーク・エンゲイジメントとは、ユトレヒト大学(オランダ)のシャウフェリ教授が提唱した考え方で、次の3つが揃った状態です。

  • 仕事から活力を得ていきいきとしている(活力)
  • 仕事に誇りややりがいを感じている(熱意)
  • 仕事に熱心に取り組んでいる(没頭)

しかし、働き過ぎは良くないと感じます。
ワーク・ライフ・バランスの、ワークの度合いが高すぎる状態は、健康や家庭に悪影響が起きやすいからです。

ワーク・ライフ・バランスに関して、それぞれの人が自分のイメージで捉え、それを否定する人は少なくありません。

たとえば、「私は、ワークとライフを切り分けて考えない。ワーク=ライフもしくはワーク<ライフと考えているので、バランスを取るという発想はない」と言う人です。

同様に「私は、ワーク・ライフ・バランスという言葉が嫌いだ。仕事を、お金を得る手段として割り切り、趣味を楽しむという発想は、私にはない。遊ぶように仕事をするのが、私のスタイルだ」という人は案外多いです。

けれども、「仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)憲章」の文言を読めば、「ワーク・ライフ・バランス」という言葉が言わんとしていることが分かると思います。

仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)が実現した社会を、次のように定義しています。
「国民一人ひとりがやりがいや充実感を感じながら働き、仕事上の責任を果たすとともに、家庭や地域生活などにおいても、子育て期、中高年期といった人生の各段階に応じて多様な生き方が選択・実現できる社会」

そこに、ワークとライフを切り分ける、割り切って仕事をするというニュアンスはなく、ワーク・エンゲイジメントの要素も入っています。

仕事しかしない・できない状態は問題

そして、いくら仕事が楽しくても、働きすぎないことが大切だと思います。

以前、私が会社員のときは、終電まで、あるいは、下手すると、終電を過ぎて明け方まで働く、土日も働くのが常態化していました。自分だけでなく、まわりの人も。

こうなると、健康を損なったり、プライベート、家庭が崩壊したりします。

私は、過労から脳膜が腫れる髄膜炎になり、それでも入院を拒否して、家で仕事をしていました。今、考えると、下手すれば死んでいました。30代のときです。

部下(20代)が倒れて、救急車を呼んだこともあります。

そして、仕事だけしかしない・できない毎日になると、プライベートの責任が果たせなくなります。未婚の人は恋人、既婚の人は夫・妻、子どもとの人間関係が悪化します。

私は結婚していて、小さい子どもがいたにもかかわらず、家には寝に帰る状態となっていました。夫も働いているのに、ワンオペ育児になり負担をかけていました。夫が積極的にサポートしてくれているのに対して、自分の仕事のことで一杯一杯で、きちんとフォローもできませんでした。

さらに、視野が狭まり、仕事だけしかしていないのに、仕事の幅が狭まります。

たとえば、イギリスの故サッチャー首相が来日したとき、女性経営者グループとの懇親会が催され、私も(経営者ではなかったにもかかわらず)呼んでいただいたのに、「社内の会議があるから」と断わってしまいました。

「えっ、なに言ってるの! 会議なんて日程を変えるか、欠席しなさいよ。せっかくの機会なんだから」と言われたのですが、そのときは、「決まっている会議をどうにもできない」と思っていました。

後で、社員ではなくなってから、「本当にせっかくの機会だったのに、会議にこだわる必要はなかった」と思いました。

しかし、そのときは、思考も麻痺していて、健全に考えられなくなっていたのかもしれません。
そして、「これくらはまだ大丈夫」の量は徐々に増えていく傾向にあるので、調子が良くてもやり過ぎない「二十マイル行進」が大事なのかなと思います。