野望を語る会「火星ピザ」、東京で開催決定!~案内が遅れたわけ
野望を語る会「火星にピザ屋を出す会(通称:火星ピザ)」を、6月4日(日)に、東京・谷中で行ないます(詳細は後日)。
このことは、4月のはじめには、日時・場所など確定していたのに、案内を出すのを躊躇していました。
なぜなら、今の時代と「野望」は合っていないのではないかと思い、どう伝えようかと思っていたからです。
ここで言っている「野望」は、国語辞典の意味のとおり、「分不相応な大きな望み。身の程を知らない大それた望み」です。
何をもって「分不相応、身の程を知らない」になるのかというと、本人よりむしろまわりの人が「ふつう無理でしょう」「無理、無理」「できないかもしれないのに、時間のムダ」と言うからです。
まわりの人になんと言われようと、気にせずやりたいことをやる人は、1割ぐらいいて、そんな人たちはよいのです。が、人の夢を否定する、いわゆる「ドリームキラー」がまわりにいると、多かれ少なかれ影響されるのが多数派。
そこで、葬りがちな「こうだったらいいな」「これをしたい」と思ったことを、口に出してみる「火星ピザ」をやっていたし、またやりたかったのです。
しかし、
「野望なんてない」
「したいことなんてない」
「語ってどうなるの?」
が、今の時代かもしれない。
むしろ、「夢を持て」「目標や目的を持て」ということにプレッシャーを感じ、ストレスになっているのかもしれないということも感じます。
まわりの人が「ドリームキラー」ではなく、「ドリーム強制屋」「ドリームノルマ屋」になって辟易しているのかもしれません。
よりよい明日、よりよい自分、よりよい環境(職場、住んでいる場所)のために努力する、人を巻き込む、成長、上昇、拡大志向は、もはや過去の発想で、重く、うっとうしく、余計なお世話。何かを変えようとせず、足るを知って、無理せず、緩くやっていくのが今の時代だと、言われたりもします。
いずれにしても、「野望」は時代に合っていないかもしれないと思い、躊躇していました。
けれども、いくつかの出来事があり、やはり人が「よりよい状態」を目指して、目標をもって、何かをやるのは、価値が高いし、何か新しいことをやろうというときに「ドリームキラー」も相変わらず少なくないと感じたので、そろそろ告知することにしました。
今の自分には少し難しいかなと感じる「野望」だけでなく、ちょっとした「こうだったらいいな」「これをしたい」ということでも、計画でもなんでもよいので、言葉にしてみませんか?
(写真は、長崎市の「マイナンバーもっトクキャンペーン」で、「私だけの特別ステージ ブリックホール大ホールをひとり占め」賞に当選し、2002人入る大ホールを使わせていただいたときのもの。今年3月)