長崎大学リレー講座2013 野田智義氏
<セミナーデータ>
タイトル:長崎大学リレー講座2013 明日を創造する人材の条件
第4回 アイ・エス・エル理事長 社会イノベータ―公志園統括運営責任者 野田智義氏「リーダーシップの旅 ~自分にとってのリーダーシップ~」
日 時:2013年11月13日(水)19:00~20:30
場 所:長崎大学
主 催:長崎大学 共催:長崎新聞社
■野田智義氏の講演内容
リーダーシップの本質
人類の歴史を創ってきたのは、リーダーシップだと思っている。
そして、ここ10年、20年、世界も社会も地域も転換期で、リーダーシップがもっとも大切だと思う。人類自体が大きな分岐点にあり、今これから世界と未来を拓くリーダーシップが求められている。
しかしながら、日本人には、リーダーシップは誤解され、手垢がついて、縁遠いものになっている。
最初にリーダーシップの本質について考えたい。
巷で言われるリーダーシップ論でのリーダーは、
・フォロワーを前提とする
・人心を掌握し、いろいろな人を束ね、ベクトルを合わせて導く
・卓越した人間としての魅力と能力をもつ
というもの。
しかし、このリーダーシップ論に、私は違和感がある。
これは、組織のヒエラルキーを前提としている。
階層、序列、権力という不純物がある。
では、リーダーシップの本質は何か? 極端な事例から考える。
マザー・テレサの映像を見てほしい。
(映像)
マザー・テレサは、たった一人から始めている。お金もない。
能力も、映像では「ローソクの火もつけられない」と言われていた。
人を導いていない。勝手に生徒がついてきた。
そう、古今東西のリーダーを調べてみたところ、最初、フォロワーはいない。
途中で振り向くと、フォロワーがついて来ている。
リーダーは「変革」と「創造」に挑戦する人
リーダーシップを再考すると、そもそもリーダーは、「変革」と「創造」に挑戦する人で、現状に飽き足らず、新しいものを創っている。
「創造」は、「コロンブスの卵」の話がよく知られているが、誰かがやると「そんなことやってもいいのなら、自分もできるよ」と、皆が言いだす。
「変革」は、「ベルリンの壁」のように、変革前には、それをやるのはあまりにもリスクが高くとても無理だと皆が思っている。けれども、誰かがやると、「当たり前」になる。
これらのビフォー・アフターのギャップに挑むのがリーダー。
リーダーは「暗い森の中、じめじめとした沼地を、他の人には見えない草原の光を見て、歩み続ける」人。
本当に必要なのは、中途半端な知識ではなく、洞察力、体力。危険なのは打算、計算。
神話で語られる英雄の物語はすべて共通している。
主人公が村を出て、困難に直面し、怪物をやっつけて、共感と信頼を得て、村に帰ってくるというもの。
マザー・テレサも他の人も、リーダーになろうと思ってなっているのではない。最初は白い目で見られたが、結果としてリーダーになっている。
社長や部長は必ずしもリーダーではない。
組織でヒエラルキーがあるから従う、マネジメントとしてのもので、リーダーとは異なる。
リーダーに求められる3つのこと
リーダーに求められるものは何か?
巷のリーダーシップ研修では、人を束ね、動かし、育てる技術だと思われているが、そうではない。
私は、次の3つを挙げる。
1見えないものを見るという挑戦
2不安を抱きかかえて沼地を渡る
3自分の夢、志が皆の夢、志になる
1は、キング牧師が、「私には夢がある」と言っているもので、黒人の子供たちと白人の子供たちが手をとりあうというのは、50年前には見えないものだったが、それを見ていた。
「これっておかしいんじゃないの?」という、不条理、不満、「不」と向き合う、人と社会のひだを見つめること。
李 明博氏が「ビジョンは見える1%から見えない99%を探し出す力」と言っているが、99%の見えない世界を見るということ。
2は、リスク、不安、不確実さとの共存。
周囲の声ではなく、自分の心の声、インナーボイス、内なる声を聞くこと。
やらされではなく、自分の心と頭でやりたいと思うものに従うこと。
マザー・テレサは「神の声」を聞いたと言っているが、神ではなく「自分の声」だと、私は思う。
自分と対峙する。立ち止まり、振り返り、自分とは何かを問う。
3は、どういう人かというと、自分より大きなものに挑む人。
リーダーシップはすべての人に関わる
これらは、日本人の教育に欠けやすい個のリーダーシップだと言える。
世間や親、周囲に褒められるためではない。いい子ちゃん教育ではない。見えないものを見る力、自分の手で実現する力、共感、信頼を呼ぶ人間としての力が求められる。
リーダーシップは、すべての人に関わっている。エリートとは一切関係ない。むしろ、エリートは挑戦しない。
「1%って何?」「自分の心の声は?」「自分にとっての戦車とは?」を問うことが求められる。
最初は、自己中心的な血の騒ぎからかもしれないが、助けてもらっているうちに成長し、意識が変わる。
自分は何者で、何をしたいのか? 自分が大切なものは何で、他者とどう関わるのか?
そういうことが明確で、個が自立していないと、リーダー、グローバルリーダーとは言えない。
結果としてなるのがリーダー。だから、リーダーシップ教育は嘘っぱち。むしろ、自分の声を聞く場と気づきの提供がリーダーシップ教育だと思う。
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お話を聞きながら、本「ビジョナリー・ピープル」を思い出した(ブログ:好きな本「ビジョナリー・ピープル」)。
「ビジョナリー・ピープル」は、世間の評価や巷の成功の定義を気にすることなく、ひたすら自分の道を追求する人たち。自分が意義あると思うこと、やりたいことをとことんやり続けた結果、世界に変革をもたらしている。
まず意志があって、結果はあくまでもついてきている。自らの心の声に従っているところが、「ビジョナリー・ピープル」と、野田氏の語る「リーダー」は共通していると感じた。
しかし、両者とも、日本、さらにローカルでは理解されにくい、受け入れられにくいに違いない。
過去の長崎大学リレー講座セミナーレポート
リレー講座 2012 為末大氏 日本マクドナルド社長 原田泳幸氏 寺島実郎氏
リレー講座 2011 東日本大震災後の日本を考える (2011年10~12月)
寺島実郎責任監修リレー講座 (2010年10~12月)