「大変だ」といっても、じつはラッキーだという事実

今の自分には乗り越えないといけないものが、まだまだたくさんあります。

自分が選んでいる道は、自分にとってけっこう大変ですが、そもそも自分が求める「面白さ」に至る道には、大変さが付き物だろうと思います。

「面白い」の語源は、夜が明けて、目の前が明るくなっていく状態で、対義語は「たそがれ」、日が沈み、目の前が暗くなり、誰が誰だかわからなくなる状態だと言います。

夜が明けるように、面白い状態にするためには、変化を避けようとする心身に協力してもらう必要があり、決して簡単ではありません

とくに心はすぐ落ち込み、それに引きずられ、脳はネガティブなことを考えようとし、体は動きたくなくなるので一生懸命働きかけ、とにかく立て直す必要があります。

下記は、自分が落ち込んだとき、つらいときに、自分に投げかけている質問です。

1.この状態でも「すばらしい点」「不幸中の幸い」を、あえて挙げるとしたら、それは何?
2.この状態になったからこそ、新たに生まれる「可能性」「すばらしい点」は何?
3.結局、どうなったら一番いい?
4.そのために、したほうがいいことは?
5.そのために、やめたほうがいいことは?
6.4、5を楽しくやるには、どうすればいい?

私は、徳川家康の「人の一生は重荷を負て遠き道をゆくが如し。(以下、略)」はもっともだとよく思いますが、「面白さ」に至るには、エネルギーが足りません。

そこで、「重い荷物なのに背負えてるのがすごいぞ。さらにどんどん鍛えられ、重い荷物も軽々さ!」と、1の事実、2の可能性に目を向けます。

自分の「大変さ」に集中していると、自分のおかれているラッキーな事実になかなか目がいきません。

しかし、「道が今日で終わりでなく、遠いのはラッキー。明日を迎えられない人はたくさんいる」「いま、地雷の埋まっている道を逃げたり、銃撃戦に巻き込まれていないので、落ち込んでいる余裕がある」というほうが、世界の事実。

「けっこう大変だ」とか言っても、「それなら換わってくれ」と言いたいだろう「とんでもなく大変」な人は、山ほどいる。そして、「換わってくれ」とも言わず、今日を精一杯生きているのが事実なんですよね。