リーダーシップに関するセミナー
リーダーシップに関するセミナーに行きました。
このセミナーのスピーカーの恒松潤一氏は、ソニーの社員の方ですが、ソニーのビジネススクール留学派遣で、マサチューセッツ工科大学(MIT)スローン経営大学院に留学。同校の、ハーバード大学でも学べ単位も認められる制度を利用し、MITとハーバード大学の両校で、リーダーシップ論、組織論を学んでいらっしゃいます。
そして、ハーバード大学のリーダーシップ論の第一人者で、精神科医のロナルド・A・ハイフェッツ氏の授業を受講し、2006年から2007年にかけて、同じくこの授業を受講した日本人留学生たちと、ハイフェッツ氏の著書の翻訳をされています。
このセミナーでは、ハイフェッツ氏の著書と講義から、斬新なリーダーシップ論が紹介されました。
「最前線のリーダーシップ」
ロナルド・A・ハイフェッツ、マーティ・リンスキー著/竹中平蔵監訳/ハーバード・MIT卒業生翻訳チーム訳/ファーストプレス刊
セミナーデータ
タイトル:リーダーシップは学べるのか? 組織と人の関係を考える
(ハーバード・MIT発のリーダーシップ・サイエンス 第1回)
講師:恒松潤一氏(ソニー株式会社/「最前線のリーダーシップ」翻訳チームメンバー)
日時:2009年03月26日 (木) 19:15~20:45
場所:アカデミーヒルズ
まず、このセミナーでの「リーダーシップ」の定義として「2人称以上の関わり」ということで、お話がされています。
また、「最前線のリーダーシップ」の本の訳者あとがきには、次のように書かれています。
「ハイフェッツ教授は『リーダー』という言葉を使わない。重要なのは『リーダー』という立場ではなく、人が『リーダーシップ』という行動を起こすかどうかだという考えからだ。そして、リーダーシップを発揮する機会は、家庭、職場、友人関係など、私たちの日常生活のどこにでもある。それは、各人の持つ権威や置かれた立場とは関係がない。」
恒松氏は、セミナーで、ハイフェッツ氏のリーダーシップ論の斬新さの一部として、次のような点をあげています。
- リーダーシップは危険
- なぜリーダーシップを取るのか?
- ダンスフロアとバルコニー
- 自省と避難所の重要性
「リーダーシップは危険」ということに関して、「最前線のリーダーシップ」には、「リーダーシップを発揮するということは、危険な生き方をするということである。」と書かれています。
そして、この本のテーマは次の3つであり、なかでも「リーダーシップのはらむ危険性」が主要テーマということです。
1)なぜ、どのようにリーダーシップは危険なのか
2)それらの危険にどう対応すればよいのか
3)困難な状況のなかで心の活力を保つにはどうすればよいか
なぜ、リーダーシップが危険なのかに関して、同書よりまとめると、次のようになります。
リーダーシップは人に変化を求める。人はそれに抵抗する。変化自体に抵抗するのではなく、変化によって何かを失うことに対して抵抗する。慣れ親しんだやり方(習慣)や、価値感、考え方を見直して、新しい環境に適応させることは多くの苦痛を伴う。そのため、変化を起こそうとする者を、平穏を妨げる者として引きずり下ろそうとする。
そして、同書には「本書はリーダーシップの難しさをしっかりと見つめる。リーダーシップをとろうと努力し、傷を負った人々が、身近にあまりにも多くいるからだ」と書いてあります。
私、川嵜は、雑誌の編集長として、また、編集長たちを束ねるマネージャーとしての仕事をずっとやってきて、「リーダーシップ」を意識せざるをえない立場だったので、「リーダーシップの難しさ」は実感としてよく分かります。さらに、マネージャーの友人や知人から、そして、私が携わってきたのが経営者向けのビジネス誌であったため、経営者や経営幹部から、リアルな状況を聞く機会も多くありました。
しかし、自分も含めたマネージャー、経営者たちは、リーダーシップ自体が危険な側面をもっているとは全然思わず、何か問題が起こるのは、ひたすら自分のやり方が悪いからだと思い、悩み、改善しようとしてきました。ときには、その情熱が、かえって「危険な側面」に、火に油を注ぐことになってしまっていたことに、今回のセミナーで気がつきました。
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リーダーシップを発揮しながら生き延びる方法として、セミナーでは、「ダンスフロアとバルコニー」のたとえを使った説明がなされました。ダンスフロアは現場視点、バルコニーは俯瞰。ダンスフロアでメンバーと共に行動しつつ、バルコニーに上がり俯瞰して状況を見るということです。
また、メンバーに組織の課題を認知してもらうこと、リーダーが問題を解決するのではないこと、権限委譲、リーダーはビジョンを示すこと(問題解決後の改善を示すこと)などの方法が説明されました。
そして、リーダーシップを発揮する人は、「自省の場」「再生の場」をもつ必要があること。たとえば、子どもの迎え、ジョギング、熱い風呂など、日常的に行なうことができ、自分にあっているものを確保したほうがよいとのことでした。
さらに、恒松氏は、著書から一歩突っ込んで、ハイフェッツ氏の授業の様子に関しても話をされました。
それは、教室の場が「リーダーシップの実験場」として使われ、教師と生徒の関係は時に崩壊したり、生徒間での対立が起こったりもするというもの。グループワークで、皆がリーダーシップに関する失敗経験を語り、涙する人も出るなか、失敗経験は分析され、グループメンバー、クラスメンバーとの結束間・信頼感が得られるというものでした。
そして、よいリーダーになる5つの素養として、「好奇心」「柔軟性」「知性と想像力」「自分の陥りやすい思考論理・バイアスを知る」「勇気」が挙げられました。
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加えて、「ミルグラムの実験」と「囚人と看守の実験」が紹介されました。
「ミルグラムの実験」は、1961年にイェール大学で行なわれたもので、「教師」役と「生徒」役に分かれ、「教師」(被疑者)の質問に間違えたら、別室の「生徒」に、「教師」が電流を流し、間違うたびに電流の強さが上がるというもの。「生徒」は仕掛け人で、わざと間違え、実際には電流は流れませんが、絶叫します。これに対し、「教師」役の被疑者が、中止を申し入れるかどうかがこの実験ですが、中止を申し入れても、実験の管理者はそれを拒否し、実験を続けるように言います。
その結果、40人中25人(65%)が最大のボルト数まで、中止の意向を示しながらも、電流を流し続けました。
この実験から、人は自分の意志に反することでも、権威者の指示に従ってしまうことが分かりました。
また、「囚人と看守の実験」は、1971年にスタンフォード大学で行なわれたもので、被験者を「囚人」役と「看守」役に分け、大学の地下に、実験刑務所を設置。「囚人」には屈辱感を与えることを次々に行ないます。
その結果、看守役は言動をエスカレートさせ、残忍性も見せるようになり、予定の2週間よりも早く、6日で実験が終了するにいたっています。
この実験では、権力を与えられた人間の暴走、役割と自己の混乱が及ぼす力が確認されています。
恒松氏は、「役割」と「個人」の混同から「非個人化」が起きること。逆に「自己」と「役割」の錯覚に陥らなければ、両方を切り分けられることを説明しました。
そして、本セミナーのタイトルである「リーダーシップは学べるのか?」に対して、リーダーシップは「経験、知識と、5つの素養、気力が統合された技術」という答えでした。
また、「最前線のリーダーシップ」には、「リーダーシップは、周囲の人々の生活をよりよくすることで、人生に目的と意味をもたらす。すべての人間が何らかの貢献できるものを持っており、大きな目的は、それらの財産を組織や家族、地域社会の繁栄に用いることからくるとわれわれは信じている。」とあります。