加点主義・減点主義と自己肯定感
以前も書いたが、物事は、同じことでも、プラスにもマイナスにも捉えられる(→以前書いたブログ)。
たとえば、100点満点の試験で90点だったとき、「90点とれた」とプラスに、加点方式で捉えるのか、「10点落とした」とマイナスに、減点方式で捉えるかは、自分で選ぶことができる。
自分のことで、気を引き締めたいときは、後者でよいだろう。
けれども、他人から後者の捉え方をされる環境にいると、自己肯定感が低い人になってしまうかもしれない。とくに、子供のとき、親や先生などまわりの大人から、後者の捉え方ばかりされると。
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子供は、親などまわりの大人から、生まれてしばらくは、「○○ができるようになった」と、加点方式で捉えられることが多いが、大人は、だんだん「○○ができてほしい」「○○ができて当然」という考えに変わり、「これができないのはダメ」「これをしないとダメ」と、減点方式になりがちだ。
減点方式だと、100点(=期待通り)が「当然」「できて当たり前」で、100点でも褒められず、100点未満(=期待外れ)は「足りない」「できていない」と、怒られたり、がっかりされたりする。
この場合、ペーパーテストならまだ客観的な正解があるが、相手(大人)の主観的な「理想」に応えることが「正解」ということもある。しかも、その理想は、抽象的だったり、察する必要があったりする。
傍目には「それを要求されても難しいだろう」と思えるが、求めている大人は、そんなことは思っていない。わかって当然、できるはずと期待している。
求められる側も、期待外れになると、存在を否定されるように感じ、「間違い」を恐れ、「正解」を求めるようになる。
10~20代で、何事に対しても、「正解」を知りたがり、「間違い」を恐れる人たちがいる。
「感想を聞かれたとき、どう答えるのが正解でしょうか?」「面接で自己アピールしなければいけないのですが、何をどう言うのが正しいのでしょう?」と聞く。
こういう人たちは、これまで、誰かの「正解」「期待」に応えることを求められてきたのかもしれないと思う。
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親や学校の先生などは、子供に対し、「これからは大変な時代になるから、ちゃんとした人になってほしい」と思い、よかれと思って「これをしなさい」「こうありなさい」と言っている。
けれども、誰かの(大人の)「理想」「正解」が、本人の(子供の)「ベスト」とは限らないし、減点方式で求められる側は、満足感や達成感をなかなか感じることができない。
「子供が言うことを聞かない」「ちっとも思い通りにならない」
「いったいどうなってしまうのか心配だ」
というのは、よく聞くことではあるが、大人の期待に応えさせようとすることが、かえって、子供が自分で考えたり、自らが納得のいく答えを出すことを邪魔しているのかもしれない。
子供も一人の独立した人間だし、子供なりに考えていたりする。
意識的に、「新たにこれができるようになっている」というプラス面に目を向け、加点方式で評価したほうが、本人(子供)も積み上げていく楽しさや達成感を感じられてよいのではないだろうか。