長崎大学 寺島実郎リレー講座 第5回第2部 東洋と西洋の逆転

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長崎大学主催の寺島実郎責任監修リレー講座 第5回第2部の内容です。

<セミナーデータ>
タイトル:寺島実郎責任監修リレー講座「世界の構造転換と日本の進路」
 第5回第2部「東洋と西洋の逆転」
講師:財部誠一氏(経済ジャーナリスト)
日時:2010年12月2日 (木) 15:45~17:00
場所:長崎大学
主催:長崎大学 共催:長崎新聞社
URL:http://www.nagasaki-u.ac.jp/relay-seminar/relay-seminar.html

財部誠一氏の話

私は、エコノミストではなく、ジャーナリストとして現場で取材をする積み重ねのなかで、「西洋と東洋の逆転」という仮説にたどり着いた。

この話の前に、思い出してほしいことがある。それは、チリの落盤事故だ。これは、日本人のもののとらえ方を象徴的に表わしている。
誰もが関心をもったのは、33人の生き埋めになった工夫たちがいったいどうなるのかということ。連日、新聞、テレビが報道し、救出劇のあった当日もリアルタイムにテレビの画面にかじりつきたくなる。これは当然の話だが、しかし、ここにばかりフォーカスを当てて、他のことは一切見ないというのは日本だけだったのではないか。
何か物事が起きると、一部分にのみきわめてエモーショナルに注目して引きずられる。メディアは部分を伝えることにのみ奔走する。

あの事故から何を学んだかと言うと、ほとんどの人が「現場監督のリーダーシップ」だと言う。それは尊いことだが、プロジェクト全体はどうなっていたのかという問題意識にまで至らない。
救出当日のウォールストリートジャーナルには「75%のサイエンス、25%のミラクル」という題名がついていた。救出はリーダーシップではなくミラクル、ラッキーだったのだ。
バルデスさんという地質学者は、生存者を探しに行く最初のプロジェクトで指揮をとった人だが「この作業は、700メーター先の蚊をショットガンで撃つようなものだった」と言っていた。限りなく難しい作業だから、ミラクルだったわけだ。
そして、救出は、世界中の専門家に依頼した大プロジェクトだったが、それに関する報道は一切なく、日本人はそこに何の疑問もなく、「よかったな、すごかったな」で終わっている。このとんちんかんぶりがこの国を象徴している。

日本経済の閉塞感は、事実、現実を越えてとんちんかんだ。今、世界経済全体における日本のポジションはどうなっているのか、世界の経済はどう変わっているのかという全体から見たら見栄えがまったく変わる。

          ◆ ◆ ◆

リーマンショックが2年前にあったが、一番問題なのは、これがよくわかっていないこと。
あれはいったい何だったのか? 私も最初はよくわからず苦労した。しかし、取材を続けるうちにはっきりとわかった。
あれはジャスト「バブル経済の崩壊」だ。それ以外、何の意味もない。金余りが投資に流れていき破裂したというだけのこと。投資の対象はいつも土地と株。今回はそれが土地と株とサブプライム金融関連商品だったというだけだ。
ただし、「100年に1度の危機」と言われたが、本当に100年に1度の恐るべき特徴があった。それは規模だ。バブル経済は古今東西で何度も起きているが、アメリカ、ヨーロッパが一度に崩壊したことはなかった。

今、アイルランドが問題になっているが、アイルランドは優等生だ。だから皆が投資をし、これが災いした。ギリシャはそもそもどうしようもなかった。
どちらにしても、異常な金余りが流れ込んで、あり得ないような資産価格の上昇が起きた。火種はアメリカだったが、ヨーロッパのほうがよりバブリーだった。

問題は、これがいったい何をもたらしたかだ。
それは、G20だ。リーマンショック以前は、G7、G8だった。そのほかの国の意思決定は関係なく、呼びもしなかった。しかし、リーマンショック後は、G20へと変わった。
なぜか? G8には金がない。新興国を呼ばないと何の決定もできないから招集した。

リーマンショックを挟んで何かトリッキーなことが起こったのではなく、最初から答えはあった。
それは、BRICsだ。2000年の頭から言っていた。
ゴールドマン・サックスが金融商品を売りたいから作った言葉だが、そこには説得力が必要だ。そのシナリオは、2030年には、世界一は中国、2番がアメリカ、3番はインドという驚くべきものだった。
リーマンショックで、このシナリオが加速度的に早まった。中国が政治、経済的にも圧倒的な力をもつようになってしまった。ロシアはダメになったが、インド、ブラジルはすごい。

最近では「先進国から新興国へ」と言われる。ごく平凡なフレーズだが、どれほどリアリティをもてるか。日本では気楽に言っているが「世界が変わった」ということ。だから今日のテーマは「西洋から東洋へ」だ。

15世紀に始まった大航海時代、西洋による東洋の支配は、18世紀の産業革命で強化された。大英帝国の時代、アメリカの時代が来て、ずっとこの構図が続いてきたが、ついにひっくり返った。この仮説は、取材のなかでできあがった。そして、確信をもつ事実が次から次へといろんなところから出てきた。

          ◆ ◆ ◆

ひとつは、アメリカのGEという会社の劇的な方針転換
GEはメーカーとしては世界で最高の企業だと思っているが、リーマンショックを挟んでビジネスモデルを劇的に変えた。
それまでは「グローカリゼーション」というビジネスモデルだった。これは日本のメーカーも行なっている。本国本社で全部ものを考えて、市場に応じてスペックを変える、グローバル プラス ローカリゼーション。
これをまったく変えた。

超音波診断装置というのがある。この機械は幅1メーター、高さ1.3メーターぐらいの大きな機械で、値段は1千万円から2千万円する。
それを、GEは、このあいだ、中国の農村部で売れる超音波診断装置をつくった。値段は150万円ぐらいで、形状はパソコンのマウスのようなものだ。画像はパソコンにつなげて見る。革命的なイノベーション、技術革新だ。これなら、小さな診療所でもどこでもほしいだろう。

中国の農村部にマーケットをいったん絞り、開発もマーケティングも中国でやる。特殊なスペックのものだが、超ハイテクなものなので、先進国に逆流していって、グローバルな大ヒット商品になっている。これをGEは「リバースイノベーション」と呼んでいる。

「グローカリゼーション」と真逆のことが起きている。これまでのグローバルな感覚がまったくナンセンスになり、ローカルなマーケットに徹底してフォーカスすることで、技術革新がおこり、グローバルに売れていく。20世紀とは真逆のことが起きているのだ。

こういったプロセスで、GEはどういう顧客が大切かという分類を変えた。
これまでは、1アメリカ、2ヨーロッパ、3日本、4その他の順番だったのを、1人口大国、2資源大国、3その他にした。
1は中国、インド、インドネシア、ベトナム、2はブラジル、ロシア、インドネシア、オーストラリアだ。

          ◆ ◆ ◆

世の中すべてが「先進国から新興国へ」と変わっている。
日本の貿易統計、これは寺島実郎氏から教えてもらった資料だが、貿易統計もこの流れを明確に補強してくれている。
貿易総額における割合は、1990年、日本経済がピークのとき、アメリカ27.4%、中国3%だったのが、去年、アメリカ13.5%、中国20%、中国に香港・台湾も足すと30%、アジア全体はほぼ50%。

リーマンショックを挟んで、「先進国から新興国へ」「西洋から東洋へ」と変わった。これからなるのではなく、なってしまっているのだ。

中国は、気分は悪い国だが、日本にとってこんなにありがたい国はない。
なぜか? これから中国がどれだけ日本の製品を買ってくれるか、観光客としてやってくるか、すさまじいものがあると思う。

僕は、90年代、中国はぜったい発展しないと思っていた。90年代後半、チャイナドリームはないという本も出している。中国に進出した日本企業も9割方失敗した。
ところが、2000年を超えたぐらいから、もしかしたら、中国は張り子の虎から本当の虎になるかもしれないと思った。世界の工場としてではなく、日本の製品を買えるようになるかもしれないと思ったのだ。
上海がそこそこきれいになったのはこの5年ぐらい。この1、2年、本当に変わってきたのかもしれない。

1960年代の東京はろくでもない景色だった。貧しかった。雨で道路がぬかるんで、長靴がないと学校に行けなかった。食堂の天井からハエ取り紙が下がっていた。海外旅行に行けたのは、限られたお金持ちだけだった。1ドルは360円だった。
それが、70年代になると、突如として皆海外旅行に行き始めた。80年代になると学生も海外に行くようになった。

1世帯あたりの所得が1万ドルを突破すると消費が爆発するといわれているが、戦後ではなく70年代に日本の豊かさが始まった。海外旅行、マイホーム、マイカーは70年代にヒットした。世の中、経済というのは、突如としてブレイクアウトする。
そして、中国はついに日本の70年代に突入した。今、中国の市場をとりにいかなかったら、今までの苦労は何だったんだということになってしまう。

中国人は日本人が嫌いだが、日本製品は大好きだ。これが我々とは根本的に違うところだ。我々は「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」というメンタリティだが、中国人は「made in Chaina」が嫌いだ。
          ◆ ◆ ◆

ついに中国は消費が爆発した。その確信は、台湾企業や韓国企業のビヘイビアからだ。
台湾のデジタルカメラのOEMメーカー、世界一のOEMメーカーの社長がこう言っていた。
「これから我々はビジネスモデルを変える。これからmade in Japanになる
要は、部品を日本製にするということだ。
これまで、台湾で資金調達し、中国工場で、中国人を使い、中国の部品を使って、先進国からの注文を作っていた。それを、同じ中国工場で、中国人を使い、日本の部品を使って作るという。
意味があるのかと聞くと、そうでなければこれからは競争力をもてないと言う。
「だってOEMメーカーでしょう」といったら、OEMメーカーでも中国の消費が価格志向から品質志向へと変わっているから、それにのれなかったら終わりだという。

この会社は日本の中堅中小企業を買おうとしていたが、ノーと言われたので、そのかわりに、台湾で合弁会社を作り、上場させ、資金調達して、工場を作り、日本から部品を供給するという話を進めている。

あのサムスンも、日本の中堅中小企業に行って、生産ラインを見て、こうしたらよくなりますよという、ティーチャーカンパニーをやっている。よい会社を見つけると、部品を買い、韓国に進出しませんかということになるだろう。

「うちの部品は日本製」というのが、中国で戦う最善の道だと思っている。ところが日本企業だけ「もう駄目だ」と言っている。

「先進国から新興国へ」「西洋から東洋へ」ということで、きわめて重要なポイントは、このように従来のビジネスモデルがまったく変わってきているということだ。

従来からアジアに出ていた日本の企業も劇的に変わっている。いすゞは、昔からアジア。タイで生き返ったが、インドネシアに力を入れていく。
僕が会長に「インドネシアの車はどこで作るんですか」と聞いたら、「それぞれの部品が違う。ASEANだ」という発想だった。

今の発想は「龍馬伝」ではない。つまり「異国に行くんだ」「内・外」というのはもう終わっている。学ぶべきは「坂の上の雲」だ。これは、日本の歴史の中では稀有なグローバルな人間たちのいた時代だ。

          ◆ ◆ ◆

「これからはアジアの時代だ」というとき、日本人は自分たちをアジア人だとは思っていない。イギリスも同じで、自分たちをヨーロッパ人だとは思っていない。
自分たちはアジア人ではないという、これが日本の暗さにつながっている。喜ぶべきなのにいよいよ閉塞感が強まっている。

永田町を見ていると閉塞感が強まるのかもしれないが、永田町は関係ない。
これほど政治と経済のダイナミズムにギャップが生じたことはない。政治も劇的な変化の時代にある。それは、時代の必然だ。日本だけでなく世界全体がどういう政治のモデルを模索するのか。

民主主義が国家主義に負けている。
中国、ベトナムは、決めたらそれができるが、日本では難しい。
中国の共産主義は名前だけ。彼らは競争原理で動いている、実力主義だ。そして、人選には皆の評価が反映されるなど、意外と民主的だ。

これまで我々がいいと思っていた民主主義の仕組みやプロセス、手続きを考え直さなければならないということになってきている。

政治に比べ、経済は加速度をもって動いている。
これらは見かたの問題で、中国が近くにあって悩むのは、あなぐらの話。欧米からはラッキーだと思われている。
2010年の日本の成長率は3.6%で悪くないし、円高で損する人もいるが儲ける人もいる。
つまり、世界全体における日本という位置づけを、冷静に、客観的に見ていくとそんなに捨てたものではない

日本の学生の就職はとても厳しいが、日本の学生は勉強していなくて、役に立たないという面もある。アジアでは皆、努力している。
もちろん景気が悪いこともあるが、グローバル採用の広がりもある。
企業は、日本人とベトナム人の学生がいたら、ベトナム人を採用すると言っている。語学力の問題ではない。日本人は簡単に辞める。与えられた環境にしっかりと適応していく知恵や見識がない。アジア新興国の学生は何が何でも適応しようとする。

日本の総合商社でも駐在経験がある人がろくに英語をしゃべれなかったりする。さらに、コミュニケーション能力が欠如している。

現実的に物事に対処していくという姿勢が学生にも大切だと思うし、経済をどう考えるか、日本をどう考えるかという点でも大切なことではないかと思っている。
(以上)

          ◆ ◆ ◆

「世界が変わった」。先進国から新興国へ、西洋から東洋へと、これから変わるのではなく「変わってしまっている」という、財部氏の言葉を、多くの日本人は、頭で理解はできても、何となくまだしっくりこない、どこか納得できない部分があると思います。

「西洋から東洋へ」というとき、日本人は「西洋=先進国=日本」、地域・人種的には「東洋」でも、経済的には「西洋」圏であり、「西洋の時代は終わった=日本の時代も終わった」と感じているのではないかと思います。

1979年に「ジャパン アズ ナンバーワン」が出たときはもちろん、それから2001年に「ジャパン アズ ナンバーワン-それからどうなった」が出たときさえも、当時はバブル崩壊後の失われた10年の後ろのほうで、ビットバレーも収束していましたが、日本経済自体がさらに傾くことがあるとは誰も思っていなかったでしょう。

2003年には六本木ヒルズがグランドオープンし、その後、ヒルズ族が注目を集め、実際、2005年には日経平均も1万6千円台まで回復しました。

すなわち、リーマンショックまでは、何だかんだ言いながらも、世界が変わる、しかも、突然変わる、日本も変わるとは思っていなかったのです。

じつは「ジャパン アズ ナンバーワン-それからどうなった」(2000年刊)では、中国の台頭にもふれられていたのですが、中国が世界一の経済大国になるのは「早くても50年は先のことであろう」と書いてあります。中国が現在のようにいきなり政治、経済的にも圧倒的な力をもつとは、誰も思わなかったでしょう。

まさに「リーマンショックで、突然世界が変わってしまった」のですが、何がどう変わったのかよく把握できていない、故に、これから何をどうすればよいかわからない。むしろ、日本がよかった時代は終わり、これからもうよくなることはないという暗雲立ち込める気持ち、出口はないという閉塞感に包まれているのかもしれません。

これこそ、エモーショナルに引きずられ、全体を冷静かつ客観的に見ていない、現実的に対処しようとしていない表われかもしれません。

これからどうなるかは、ジャスト、これからどうするかにかかっているでしょう。

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ところで、一部のみをエモーショナルに報道するメディア、それは視聴者が喜ぶからだというかもしれませんが「地上波は見なくなった」という人も増えている気がします。
もともとメディアも玉石混交なのかもしれませんが、たとえば、海老蔵さん殴打事件にフォーカスするのを、皆、本当に喜んでいるのか? 中身が石ばかりになっていくと、さすがに飽きられるのではないかという気がします。


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・第1回「2010年、世界の構造転換と日本の立ち位置」寺島実郎氏(日本総合研究所理事長 三井物産戦略研究所会長 多摩大学学長)
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