映画「悪人」と幸せ

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映画「悪人」を見ました。
登場人物は、みんな一生懸命生きているのに、幸せが逃げていく。
なぜなんだろう、と思いました。
そして、そもそも幸せとは何か、とも思いました。

登場人物のなかで、光代の妹には恋人がいて、幸せそうです。
祐一と光代はそれぞれ家族と一緒に住んでいますが、恋人や友人はいません。
映画のあらすじには、祐一は「車だけが趣味で、何が楽しくて生きているのかわからない青年」、光代は「アパートと職場の往復だけの退屈な毎日」とあります。

祐一と光代は「本気で誰かに出会いたかった・・・」「孤独な魂を抱えた二人」とあるように、人との強いつながり、「愛」を求めていたに違いありません。

祐一が殺人を犯す前に光代と出会っていれば、2人とも幸せになれたでしょう。
そして、祐一の祖母も、殺された女の子、佳乃の両親も、それなりに幸せだったかもしれません。

殺された佳乃と、大学生、増尾は、よくいそうな自己中心的で強気、人の痛みがわからない若者といえますが、行動が過剰です。
増尾は、いくら腹が立ったとしても、あまりにも大人げない行動をとっています。
そして、佳乃が殺されたのは、増尾の言動に傷ついていたとはいえ、祐一を見下し、傷つけたことによる、自ら招いた結果だといえます。

祐一の行動は、精神的に追い詰められ、恐怖から逃れるための、いわば「自己防衛」だったのでしょうが、殺してしまう前に、我に返る瞬間がなかったのが残念です。

佳乃、増尾、祐一は、いずれも反応的、衝動的に過剰な行動に出てしまった。故に、佳乃と祐一と、それぞれの家族、光代の不幸を招いてしまった。

それで思い出したのが「他人を見下す若者たち」(速水敏彦著/講談社)という本です。
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著者は、現代の日本人、なかでも若者の感情とやる気が変化している。すなわち、怒りが増大し、やる気が低下しているといいます。
「最近の若者は関心が自分だけに集中し、社会や他者への関心はきわめて薄い」
「多くの人が自己肯定感を求めようとしている時代」
「他者を否定したり軽視することで、無意識的に自分の価値や能力を保持したり、高めようとしている」といいます。

佳乃の場合、祐一を見下し、否定することにより、自らが増尾から受けた心の痛みを軽くしようとしていたのかもしれません。
また、増尾にとって、佳乃やその父は、「関心の薄い他者」であったのでしょう。
だから、もし、増尾に、佳乃の父がいう「大切な人」がいたとしても、その人は大切でも、他者は「物体」と同じ。自分や大切な人と同じように「心があり感情がある存在」とは思えないかもしれません。

          ◆ ◆ ◆

さて、アエラ10月4日号の記事「20、30代300人調査 幸せと不幸の境目はどこに?」では、不幸の原因(複数回答)は「収入が低い」(129人)が一番。次に「貯金が少ない」(83人)、「恋人や配偶者がいない」(73人)、「健康に不安がある」(72人)、「仕事に満足していない」(64人)、「友達がいない」(55人)と続きます。

記事で、年収500万円から、転職で年収280万円になり、さらに転職で年収400万円になった人は、「年収280万円の頃は、日々生きるのに必死だった」「映画鑑賞はレンタルDVDに。服を買うこともなくなり、旅行にも行けなくなった。『知らず知らずのうち、心の余裕もなくなっていたのかも』」と言っています。

また、「ないと不幸なものは?」、多い順から「友人」(115人)、「希望」(96人)、「貯金」(95人)、「仕事」(93人)、「配偶者」(74人)となっています。

記事には「収入の不安定さから、結婚することさえ、贅沢な選択肢になったこの時代にとって、つながりを生む大事な要素は友人だ」とあります。

祐一と光代は、お金に困っていたわけではありませんが、友人はいませんでした。

祐一と光代のように、家と職場の往復だけの退屈な毎日をおくっている人や、とくに楽しいこともないという人はたくさんいると思います。けれども、親しい友人がいれば、「つまんない。何か面白いことないかな」とぼやいたり、「じゃあ、どこどこにでも行くか」と、退屈さも緩和され、とくに幸せでもないけれど不幸でもない、まあまあの日常が過ごせるでしょう。

恋人がいれば、喧嘩もしますが、それなりに楽しく、幸せな日々が過ごせることが多いでしょう。

結婚すると、その幸せも「ふつう」になり、子どものこと、親のこと、さまざまな課題が出てきたりしますが、不幸ではない、どちらかといえば幸せと思う人が多いかもしれません。

          ◆ ◆ ◆

幸せは、ある意味、銀行のようなもの、お金が必要なときには貸してくれず、必要ないときに貸したがるものかもしれません。
すなわち、「幸せになりたい」と幸せを渇望しているときには遠ざかり、とくに意識しないとき、水や空気のように、そこにある。

自己肯定に精一杯のとき、自分のことをもっと認めてほしい、もっと必要な人として強く求められたい、愛されたいと、自分のことに執着しているとき、幸せは逃げていく。

他者のことを思えるとき、他者を肯定し、大切にし、感謝し、愛せるとき、他者の幸せを願えるとき、自分の心は平和ですし、幸せでもあるでしょう。

アエラの「不幸」のとおり、お金がなくなると、心から余裕が失われ、他者のことを考えにくくなる。友人など人とのつながりがなければ、自己肯定感が失われ、自分に執着する。故に、幸せは遠ざかるという気がします。

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